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今回は「東海市駅前プロジェクト」の最寄駅、名鉄「尾張横須賀」駅界隈について少し調べてみました。
「東海市駅前プロジェクト」から西へ少し行った国道155号を挟んで西側一帯は、実は東海市の中でも古くから町並みが整備された歴史ある土地柄のようです。その成り立ちをちょっとご紹介しましょう。
「尾張横須賀」駅から北へ直線距離で500mほどのところに市民体育館や市立勤労センターがありますが、この辺りは昔、尾張藩二代藩主・徳川光友の別荘「横須賀御殿」があった場所です。
寛文6年(1666年)に光友公が潮湯治(海水浴)や焼き物作りを楽しむために建てられたそうですが、一説には軍事的な要素もあったといわれています。
現在は横須賀御殿の遺構は残っていませんが、市民体育館・勤労センターの駐車場東側から延びる公家緑道(こうけりょくどう)の入口には、御殿のあったことを伝える碑が建っています。
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広大な敷地に御殿群の「臨江亭(りんこうてい)」と回遊式庭園「御州浜(おすはま)」からなる横須賀御殿。説明によると庭園は桂離宮や修学院離宮を彷彿とするスケールと見事な造りだったようです。
かつてこの一帯は馬走瀬(まはせ)と呼ばれる漁村だったそうですが、御殿ができてからは商業の町として変貌を遂げていきました。碁盤の町割りが形成され横須賀町方(まちかた)として改められた後は、知多西海岸の行政や商業の中心として繁栄していったようです。それが現在の横須賀町の愛宕(あたご)神社から南側一帯になります。
横須賀御殿は光友公の死後取り壊されてしまい、後に横須賀代官所が建てられますが、横須賀町や高横須賀町に今も残る「御亭」「御州浜」「浜屋敷」「桝形」などの地名は、御殿のあったことを偲ばせるものとなっています。
また、この辺りは知多半島でも唯一、地名の頭に"尾張"を付けることが許され"尾張横須賀"と呼ばれていたといいます。そんなことからも、この土地の由緒を感じることができますね。
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高横須賀町桝形一丁目の市民体育館。横須賀御殿がこのあたりにあったことを偲ばせます。
天保15年(1844)、尾張名所図会(小田切春江画)に描かれた横須賀の湊。
真ん中下あたりに愛宕神社や碁盤割りらしき町並みが見てとれます。(東海市史より)。
毎年9月の第4土・日曜日に執り行われる愛宕神社の秋の例祭「横須賀まつり」は、「尾張横須賀」駅界隈も含めた町全体が盛り上がりを見せます。市の指定文化財にもなっている豪華絢爛な4台の山車がお囃子とともに各町内を曳き回され、狭い辻で方向を変える「どんてん」の技は勇壮で見物です。この祭もそんな歴史の中から生まれてきた町の貴重な文化なんですね。
「尾張横須賀」駅界隈は、そういった歴史ある町だけに旧跡もところどころに見られます。それについては、また改めて周辺散策ルポでご紹介しますので、お楽しみに。
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今年も去る9月24・25日に執り行われた、愛宕神社の例祭「横須賀まつり」。
徳川光友公もたびたび参拝に訪れたという愛宕神社の例祭を光友公に披露するため、大きな笠に鉾や長刀を飾りお囃子とともに村中を練り歩いたのが祭のルーツと言われています。
お披露目の試楽(土曜)は元浜線に本町組・北町組・公通組・大門組の4台の山車が集結。
子どもらによるお囃子コンクールも併催され、町はお祭りムード一色です。
「東海市駅前プロジェクト」のすぐ北側に山車蔵がある本町組の山車。
マンションの目の前まで曳き回しが行われます。
(山車の向こう側に見えるのがマンション建設中の現場です)
祭の一番の見せ場"大どんてん"が行われる本楽(日曜)の夜は夜祭りも開かれ、愛宕神社前には屋台が出揃い人々で賑わいます。提灯が灯された山車は一層美しく照らし出され、
それぞれの山車蔵へ戻る夜の10時頃まで祭が続きます。
次回は「東海市駅前プロジェクト」周辺の住環境をご紹介します。
by みなみ
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