2012年6月5日火曜日


A6m3zero | インパルス・ブルー | ページ 3


毎日散歩している。今日も50分は歩いた。すこし気温が緩んでいるので助かる。iPodにヘッドフォン。 今日の曲はドボルザークの「新世界交響曲」。私の愛聴盤は「イシュトバン・ケルテッシュ指揮のウィーンフィルハーモニー」であります。私が初めて「新世界」を聴いたのは中学時代に親戚の家で聞いた「ラファエル・クーベリック指揮のウィーンフィル」でありました。1962~3年です。名演の誉れ高きLPレコードでありましたがモノーラルでした。どうしても自分のLPが欲しくてナケナシのお小遣いを貯めて買ったのがステレオ盤の前述のケルテッシュ盤。英デッカのクラシックLPレコードは「ロンドン」レコードで出ていて格好よかったですね。ケルテッシュは後年「イストバン・ケルテス」と表記されるようになりましたが、はてどっちが正しいんだろ?ハンガリー人です。 さえないアメリカの草原の写真のジャケットでありまして、魅力の無い装丁であります。ただただ「ロンドン・レコード」ということと「ステレオ」「ウィーンフィル」というだけがこのレコードを私に買わせた要因。同じころにCBSレコードから出たバーンスタイン・ニューヨークフィル盤はロワーマンハッタンの摩天楼をバックにスタッテンアイランド・フェリーに乗った若い米国美女がほほ笑んでいる写真のジャケット。私の親友が後日買ったレコードがそれで、すごく羨ましかった。もうそのころから私はジミなモノ選びをする性格だったみたい。 しかしながら、演奏はウィーンフィルのが素晴らしい。荒々しい金管と繊細な弦のコンビネーションは何物にも代えがたい。ケルテッシュの指揮は至極スタンダードな曲運びでなんら奇をてらったものではないのですが、ウィーンフィルはそれに見事に応えて名演を聴かせてくれるのでありました。何回このレコードを聴いたでしょう。100回?200回かも。当然第四楽章の弦の力強い導入部から金管の強奏で始まる主題を聴きたい一心で1~3楽章を聴いていたのですが、だんだんとそれぞれの楽章が4楽章に劣らず素晴らしい楽曲であることが分って来たのでありました。私の頭の中では見たこともないアメリカの風景が広がってくるのであります。まあ、西部劇の映画や旅行ガイドの写真なんかで印象にのこっているイメージが� �� ��を走り回っていたのでしょう。第二楽章のテーマ(家路)などは完全に南部のプランテーションや農場の夕日に映えた景色を思い描いて聴いておりました。 まさか、そのアメリカに住むことになるとは。少年時代には只の「憧れ」にすぎないアメリカだったのに。運命のいたずらですね。 ジャケット写真を見てお気づきの方がおられるかもしれませんが、1960年ころは「新世界交響曲」は「第5番」となっておりました。今は「九番」ですね。私のレコードは1962年盤ですが、あとになって4曲も埋もれていた交響曲が出てきたのであります。 「新世界交響曲」にはまだ思い入れがあります。ニューヨーク駐在員となって1995年頃、リンカーンセンターのエイブリー・フィッシャー・ホールでニューヨークフィルのこの曲を聴きました。全楽章素晴らしい演奏でありましたが、とりわけ第二楽章のラルゴは絶品でありました。それもそのはず、1893年にこの曲をカーネギーホールで初演したのはニューヨークフィルでありました。以来ずっと100年以上に亘って連綿と弾き継がれてきているのであります。彼らの演奏する第二楽章はそれはそれは切々とした「語り」を想わせるうったえる様な響きでありました。楽器による演奏を聴いているというよりも、なにか「朗読」を聴いているような、もう永遠に続いていて欲しいと思わせる瞬間だったのです。家内と一緒に聴� �� ��ていて、「凄いね」という一言しか感動を言いあらわせる言葉が無かった。

カテゴリー: 未分類 |

健康維持(本音は体重減量)のために散歩をするようにしている。去年は調子にのって毎日1時間くらい速足で歩いたりしたら、昔傷めたアキレス腱の痛みが再発して一時は家のなかでも歩くのが難しい状態になった。減りかけた体重が運動を休止していた1カ月で元に戻るどころか、前よりも太ってしまったのには参った。息子たちに『徐々に距離を増やしていかないとダメだよ』と当たり前のことを言われた。ようは、63歳過ぎの自分の体は「労わりながら運動をする」という老体の領域に足を踏み入れているんだ、と気が付いた次第。以来、ぼちぼち歩くことにした。 我が家から数分歩いた処に大きな墓苑がある、 敷地が三角形の墓苑で、舗装された周囲の道を歩くと一周が1.5キロ程度。名称は「Valleau Cemetery」という。名前の由来とか、開苑時期など詳しいことはまだ知らない。すぐ横に「Old Paramus Charch」という古い教会がある。この教会、なんとワシントン将軍の活躍した独立戦争の時に野戦病院になったという歴史がある。↓写真で遠くに見える尖塔がそれ 我が家から出発して墓苑を一周して帰るとだいたい家からの往復時間を入れて30分くらい歩くことになる。2周したら40~45分。3周で1時間。というところ。 もうアキレス腱の痛みにはこりたからほどほどに1周か2周で終わりにしている。 いまは空気が澄んでいて気持ちがいい。青空を仰ぐといつも飛行機雲が何本も横切っている。ここはニューヨークだもんなあ、上空も忙しいのだ。などど考えながらiPodで交響曲を聞きながら歩く。だいたい2周したら長めの交響曲が一曲楽しめる。今日はマーラーの交響曲第一番「巨人」を聴いた。ブルーノ・ワルターがニューヨーク・フィルを指揮したもの。私の一番好きな演奏は同じワルター指揮のコロンビア交響楽団の演奏でありますが、やはり違いは歴然でした。絶対にコロンビア響との録音がいい。録音時期は1961年。ワルターがすでに84歳の時のものです。で、このコロンビア響というのは実際には存在しない楽団。この時はワルターのステレオ録音のためにCBSレコードが編成しました。録音のための寄せ集め楽団 なのです。ハリウッドの映画音楽では普通に行われている手法で、MGM Studio Orchestraなどが有名です。すでにビバリーヒルズで引退生活をしていた大御所ワルターを最新鋭のStereo LP録音に引っ張り出すためにCBS Recordが作ったのです。映画産業絶頂期のハリウッドだったから優秀な演奏家がロサンゼルスに沢山集まっていたことも幸いしたのかも。大編成の交響楽団ではないので「巨人」の演奏には向いてないはずなのですが、この録音だけは例外。何故かすごいのです。他のどの指揮者、どの交響楽団の演奏にも無い、ワルターだけのマーラーの世界がそこに有るのであります。ワルターはマーラーの弟子であり親友でもありましたから師匠の持っていた音楽性を彼なりに昇華して指揮した結果ではないでしょうか。この録音の翌年の1962年に彼は他界しております。愛聴盤。

カテゴリー: 未分類 |

大阪駅の変貌はすごい。駅全体を覆ってしまう大きな屋根はなかなか壮観。上の写真は神戸方面側のプラットホーム。 正面の大きな歩道橋には時計台がある。西日が当たっていい雰囲気でした。 京都方面のプラットホームはこんな↓感じ なんでも、聞くところによると、ホームの個々の屋根は大屋根が出来あがり次第撤去する計画だったそうです。ところが、いざ屋根が完成してみると雨の日に風が有ると雨が吹き込んできて『ドにもなりまへん』ということで残すことになったらしい。偉い建築家さんも横殴りの雨が吹き込むことまでは計算できんかったか。 北側のビル(ノースタワーという)に長ぁ~いエスカレーターが有ったので乗って見た。中層階に屋上があって展望台になっておりました。西には六甲山系が遠望されます↓ 北側は川西が見える。伊丹に着陸中の飛行機も見えます↓ この階には映画館が有るらしくてポスターが並んでました、「仮面ライダー?」ですよね?これ↓ 「仮面ライダー」のあまりの変わりように私はついていけません。まだコレ↓なら解かる 観たいな、と思ったのですが滞在時間が限られていたのでチャンスなし。何時かDVDで観るしかないね。山本五十六も(東宝の画く人物像は誰も定型的すぎる)東映が撮るとだいぶ切り口が違って面白くなっているんじゃないかと期待できるのですが、どうでしょう、、、    

カテゴリー: 未分類 |

「駅弁」って、いいですね。私は無類の駅弁好き。新幹線を選ぶ時はできるだけお昼飯時に走っている便を予約します。そして、窓側の席に座って駅弁を食べる。この場合、列車が走ってないと駄目です。止まってる列車で喰う駅弁は意味ない。2割がた味が落ちる。(ほんまかいな) さて、12月29日に東京に行ったときに大阪駅で買ったのが↓この駅弁 大阪の味がバラバラと入っておりました でもこれ、千円もするんだよね。ちょっと高いな。たこ焼き一個しか入って無かったし。 駅弁とくればあては「ビール」。今回はキリン・ラガー・クラシックを試してみた。やはり復刻版だけあって昔の「苦み」が効いてました。売店ではアサヒビールのラガーの復刻版もあって、旭日旗みたいな朝日の出てる懐かしい缶でしたが、取り敢えずキリンを飲んでみた次第。 京都を過ぎたあたりから駅弁くいながらビールをちびりちびり。ああ~幸せ。 窓の外は愛知川(えちがわ、と読む)を超えたあたりから関ヶ原を過ぎるまで雪景色でした。 この景色も毎度おなじみの米原・関ヶ原の冬景色です。


ベローズの救急車サービスはバーモント州を下回る

カテゴリー: 未分類 |

2012年6月3日日曜日


指定されたページまたはファイルは存在しません。

  • アドレスに入力の間違いがないかご確認ください。
  • ページが削除されたか、移動した可能性があります。

株式会社ベストリザーブ

2012年6月2日土曜日



3月17日は「セントパトリック・デー( St Patrick's Day )」。5世紀に活躍したアイルランドの守護聖人・聖パトリックを記念したアイルランドのナショナルデーとも言える祝日です。

セントパトリックデーのお祝いがいつ、どのように始まったのかははっきりしていません。けれども、聖パトリックが亡くなった直後から、その命日である3月17日は、彼を記念する大事な日とされていたようです。それから15世紀以上経った現在、この日は、アイルランド本国のみならず世界中でお祝いされています。特に、ニューヨークやボストン、シカゴなど、アメリカのパレードが盛大なことで有名です。

実は、セントパトリックデーを祝う賑やかなお祭りは、アイルランドよりもアメリカの方が長い歴史を持っています。アイルランドからアメリカに移り住んだ人たちにとって、3月17日は、故郷を偲び、アイルランド人であることを誇りに思う日だったのです。 記録に残っている中で最も古いお祭りは、1762年にボストンで開催されました。そしてその4年後、ニューヨークで初のセントパトリックデー・パレードが行われました。それ以来、アイルランド系移民を中心に、アメリカ各地で華やかなイベントが行われています。


カイヤホガフォールズ、オハイオ州の歴史的な教会

では、アイルランドでのセントパトリックデーとは一体どんなものなのでしょう??

アイルランドでのセントパトリックデーは、時代によって、そしてイベントの主催者によって、いろいろな表情を持ってきました。