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京都駅 - Wikipedia
※ JR西日本 京都駅の構内鉄道配線図(注意 巾600px)を表示するには、右の [表示] をクリックしてください。
[編集] ダイヤ
[編集] 在来線
- JR京都線・琵琶湖線
日中時間帯は1時間あたり新快速が4本、普通(高槻駅 - 大阪駅間で快速になる列車を含む)が6本で、普通の2本は当駅で折り返す。朝ラッシュ時の大阪方面は新快速・快速・普通ともそれぞれ8分間隔で発車する。夕方ラッシュ時は新快速が7分半間隔、普通が8本(4本は当駅止まり)停車する。
- 湖西線
日中時間帯は1時間あたり4本(新快速を含む。土曜・休日は5本)発着する。朝時間帯の到着は本数が多い。夕方は4本(19時台は5本)発車する。
- 嵯峨野線
日中時間帯は1時間あたり快速が1本、普通が3本発着する。朝晩は福知山駅始発・終着列車の設定がある。
- 奈良線
日中時間帯は1時間あたりみやこ路快速が2本、普通が4本発着する。朝晩は区間快速が発着する。
[編集] 発着する在来線優等列車
当駅は、山陰方面へ向かう「スーパーはくと」、関空特急「はるか」、山陰本線経由で北近畿方面へ向かう各種特急の起点となっている(ただし、「はるか」の一部は米原駅へ直通する)ほか、南紀方面の特急の一部も当駅まで乗り入れてくる。また、大阪駅発着の北陸・信州方面行きの特急も停車する。
- 北陸方面
- 東海道・中央・高山線方面
- 山陰方面(智頭急行線経由)
- 阪和線・きのくに線方面
- 北近畿方面(山陰本線・舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道線経由)
[編集] 出入口
在来線の出入口は、北側地上に「烏丸中央口」、北側地下1階に「地下中央口」、南北自由通路に通じる西側橋上駅舎上に「西口」、地下自由通路に通じる地下1階に「地下東口」、南東側地上に「八条東口」、山陰線ホームからアクセスできるビックカメラJR京都店二階に「西洞院口(にしのとういんぐち)」がある。
新幹線の出入口は、南側地上に「新幹線八条口」、南東側地上に「新幹線八条東口」、新幹線コンコース西側に「新幹線中央口」がある。在来線と新幹線は「新幹線中央乗換口」と「新幹線東乗換口」を介して乗り換えできる。
乗り換えは、烏丸口のバス利用者は「烏丸中央口」、八条口のバス利用者は「八条東口」「新幹線八条口」など、在来線⇔近鉄線は西口、在来線⇔地下鉄は地下東口、新幹線⇔近鉄線は新幹線中央口、新幹線⇔地下鉄は新幹線八条東口が至近である。
他の京都市内にある各線の駅や大都市の主要駅と比べると、烏丸中央口は駅前のターミナル(バス・タクシー)が広くゆとりがあるのが特徴である。
[編集] 京都駅ビル(JR西日本)
京都駅の駅舎のうち、JR西日本の烏丸中央口側のものを「京都駅ビル」と呼ぶ。地上16階、地下3階 (高さ60m)、敷地面積38,000m²、延床面積は238,000m²、東西の長さは470mにのぼり、鉄道駅の駅舎としては日本有数の規模である。この新しい駅舎になり、新しい京都市の顔となりつつある。
現在の駅舎は4代目に当たる。1915年、大正天皇の御大典に併せて古典様式の2代目駅舎が渡辺節の設計により建築されたが、1950年失火により焼失、その後1952年に鉄筋コンクリート造の近代的な3代目駅舎が竣工した。しかし、駅が発展するとともに増築に次ぐ増築を重ねたため、地下街を含む商店街や連絡通路などを含めると構内の構造は複雑化し、不便なものになっていた。また駅舎本体にも老朽化に伴う種々の問題が生じて来た。そこで、抜本的対策として駅ビルの新築が計画された。これは1994年の平安遷都1200年記念事業の一環でもあった。
なお、ホーム南側(八条口側)にはJR東海の駅舎があるが、これは新幹線開通時に建設されたもので近鉄・新幹線のホーム下にあり、規模は小さく、新しい京都駅ビル建設の際も南北自由通路の設置やJR線と近鉄線の改札を完全分離化したこと以外は大きな変更はなかった。
[編集] 京都駅ビルの設計
京都駅ビル(JR西日本)は、日本の鉄道駅舎としては異例の国際指名コンペ方式で行われ、新駅ビル設計者には原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの7名の複数の建築家が指名された。設計審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれ、さらなる協議を経て、原広司案が最終案として採用された。京都駅周辺は高さ120mまでの建築物が建築可能となる特例措置が設けられているが、高さ制限の緩和は古都の景観を損なうものとして反対意見も根強かったため、建物の巨大さ、高さに起因する圧迫感を回避し、いかに周辺環境との調和を図るかが作品の評価のポイントとなった。採用された原広司案は、最大高さを60mに抑えた上で、� ��北方向の道路に合わせて建物を分割して視線を通すなど、圧迫感を回避するような配慮が随所に見られる。
採用にいたらなかった諸案の概要は次の通り。
- 安藤忠雄案:線路上に巨大な屋根を架けてその上を広大な広場とし、さらにそこをまたぐようにして羅城門をイメージした逆凹字形の駅舎を建設する。
- ペーター・ブスマン案:屋根部分を長大な弓形に湾曲させ、北面には京都の町屋を意識して高さ31mに揃えた軒先線を設ける。
- 池原義郎案:烏丸通の正面側を巨大な門形とし、そこから中央部に向かって階段状に高さを下げ、さらに西側に向かって上昇させる。
- 黒川紀章案:羅城門を意識した高さ120mの門型の超高層建築。圧倒的な重量感と黒色の配色の威圧感が賛否両論を呼んだ。
- ジェームズ・スターリング案:空間を3分割し、西側に高さ120mの円筒形のホテルを建てる。
- ベルナール・チュミ案:駅舎を南北に分割し、北側は31mのスカイラインを強調してその上に「京の七口」を意識した7本のタワーを建てる。南側は45mのスカイラインで揃える。
この他、駅ビル建設に反対した市民グループは、寺社風木造建築の駅舎で、周辺の商店を保護するため、大型商業施設をテナントに入れないという独自の案を提唱し、当時駅ビル問題を扱った『NNNドキュメント』(日本テレビ系列)でも紹介されていた。
[編集] 京都駅ビルの構造
京都駅ビルは、東側にホテルグランヴィア京都、西側に百貨店のジェイアール京都伊勢丹が位置する。その間の中央コンコースは、4000枚のガラスを使用した正面と大屋根で覆う広々とした吹き抜け(横幅147m、奥行29m、高さ50m)になっている。吹き抜けの最上部には地上45mの空中径路が通っている。
吹き抜けから東西へは渓谷状の階段が設けられている。伊勢丹側の大階段は段数171段、高低差は11階建てビルに相当する35m、全長は70mある。大階段はコンサートや、毎年2月の「JR京都駅ビル大階段駆け上がり大会」(主催:KBS京都)などイベント会場としても利用されるほか、カップルや観光客の憩いの場ともなっている。また、非常時の避難経路となることも想定されている。
京都駅ビルの延床面積238,000m2の内訳は、駅施設が約12,000m2、ホテルグランヴィア京都が約70,000m2、百貨店などの商業施設が約88,000m2、「美術館・えきKYOTO」などの文化施設が約11,000m2、駐車場が約37,000m2、行政関係施設などが約38,000m2、となっている。
建築・設計
ヒースロー空港からどのくらいの免税タバコ- 建築設計:原広司 / アトリエファイ建築研究所
- 施工:京都駅ビル建設工事JV(大林・鉄建・大鉄他JV)
- 竣工:1997年
- 用途:駅舎・複合施設
- 構造:鉄骨造+鉄骨鉄筋コンクリート造
- 階数:地上16階、地下3階 (高さ60m、横幅470m、奥行80m)
- 敷地面積:38,000m2
- 建築面積:32,400m2
- 延床面積:238,000m2
- 所在地:京都府京都市下京区東塩小路高倉町8番地3
- 第40回建築業協会賞受賞
[編集] 駅ビルに対する賛否両論
京都駅ビルは、規模の巨大さとデザインの斬新さにより、建設時はもちろん建築後もその評価には賛否がある。
- 賞賛意見
- 単なる交通ターミナルではなくさまざまな機能が盛り込まれており、京都の新しい中心核を創り上げている。巨大な吹き抜け空間と大階段など、未来指向のデザインに溢れており、これほどまでに人目を引く駅舎は日本では他に例を見ず、今や京都の新しい観光スポットとしてもすっかり定着した。こうした斬新な建築は、新しいものと歴史あるものとが調和をもって共存する京都に相応しいとの意見。
- 批判意見
- 採用された設計案では圧迫感を回避するような配慮が随所に見られるが、根本的な解決になっているとは言い難い部分がある。ハーフミラーのガラスやアルミパネルを多用した造形も歴史ある古都の景観を破壊している。高さ60mの巨大建築は京都を分断する衝立のようなものであり、京都の南北の一体化を阻害している。京都・まちづくり市民会議などが中心になって、激しい反対運動が起こった。また1990年代初頭、京都仏教会はこの駅ビル建設に「景観が悪くなる」という趣旨で強く反対していた。この件は当時のKBS京都やNHKニュースで数度放送されていた。
[編集] 他の駅ビルとの比較
京都駅ビルは延床面積238,000m2であり、延床面積で日本最大のJR名古屋駅のJRセントラルタワーズ(延床面積416,565m2)やJR札幌駅のJRタワー(延床面積274,459m2)にはおよばない。JR東京駅のグラントウキョウノースタワー(2011年現在の延床面積212,158m2)も増築を完了すると京都駅ビルを抜く。しかし、それら他都市の駅ビルが面積のかなりの部分を企業向けの賃貸オフィスに割いているのに対して、京都駅ビルはそうした部分をほとんど持たないことが特徴である。つまり、京都駅ビルは関係者以外でも立ち入り可能な空間が広いのである。
さらに、中央コンコースの巨大な吹き抜け空間(映画『ガメラ3 邪神覚醒』ではガメラとイリスの決戦の舞台とされたほどであった)、比高差35mの大階段、中央口南側の屋上広場、西ゾーンの屋上庭園、高さ45mで東西を結ぶ「空中径路」などの公開空間をふんだんに取り込んでいる。こうした結果、京都駅ビルは自由に立ち入りできる部分が他の駅ビルに比べて圧倒的に広くなっているとともに、建物全体が開放感にあふれた印象を与えるものとなっている。
また、京都駅ビルは、建築物の高さに敏感な京都の市民感情を反映し、高さは60mに抑えている(「世界一高い駅ビル」である名古屋駅のJRセントラルタワーズは245m。東京駅のグラントウキョウノースタワーは205m、札幌駅のJRタワーは173m)。その反面、京都駅ビルの横幅は470mという長大なものであり(このため「高さ470mの超高層ビルを横倒しにしたようだ」と評されることがある)、これはJRセントラルタワーズの約1.9倍、JRタワーの約2.7倍にあたる。
以上のような諸点は、実際の規模以上に京都駅ビルの巨大さを際立たせる要因となっている。
[編集] 増築
嵯峨野線ホーム亀岡寄り側付近に『京都駅NKビル』が増築され、新しく改札口(西洞院口)を設け、京都寄り車両に乗客が集中する嵯峨野線の混雑緩和を図っている。また、同ビルには家電量販店ビックカメラ京都店が出店し、JR京都駅西洞院口(にしのとういんぐち)は同店の内部に取り込まれている。
[編集] 駅弁
合名会社 萩の家[3] | 株式会社 ジェイアール西日本フードサービスネット | 株式会社 ジェイアール東海パッセンジャーズ | 株式会社 戸川 |
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[編集] 利用状況
[編集] JR西日本
2007年度の1日平均の乗車人員は180,412人[4]である。これはJR西日本の駅では大阪駅に次いで第2位である。
[編集] JR東海
2006年度の1日平均の乗車人員は32,263人である。これはJR東海の駅では第7位である。
近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
どの程度までバンコクから空港まで年度 | JR東海 | JR西日本 |
---|---|---|
1992年 | 25,482[5] | 139,419[6] |
1993年 | 25,623[5] | 144,545[7] |
1994年 | 24,659[5] | 147,953[8] |
1995年 | 25,253[5] | 151,904[9] |
1996年 | 26,166[5] | 155,995[10] |
1997年 | 25,926[5] | 163,463[11] |
1998年 | 25,150[12] | 163,803[13] |
1999年 | 24,472[12] | 162,287[14] |
2000年 | 24,753[12] | 164,712[15] |
2001年 | 24,666[12] | 167,416[16] |
2002年 | 24,579[12] | 169,378[17] |
2003年 | 171,653[18] | |
2004年 | 173,934[19] | |
2005年 | 176,403[20] | |
2006年 | 179,156[21] | |
2007年 | 33,637[22] | 180,413[22] |
2008年 | 33,255[23] | 182,534[23] |
2009年 | 31,066[24] | 179,882[24] |
2010年 | 183,715[25] |
[編集] 沿革
開業は1877年(明治10年)2月6日。 当初は、新橋駅 - 横浜駅間の鉄道に続いて2番目に開業した、神戸駅 - 当駅間鉄道の終着駅であった。
路線形状の都合や用地買収の楽な寂れた地域だったという理由から、旧来の繁華街である三条通などからは遠く離れた八条通付近に当駅が設置された。初代の駅舎の位置は現駅よりやや北側で、1914年(大正3年)に線路を付け替えて現在地に新駅が建設されるまで使用された。跡地は駅前広場の一部にあたる。
後に当駅から大津駅までの鉄道も開業するが、この時のルートは東山にトンネルを開削するだけの技術がまだなかったことから、現在のJR奈良線を稲荷駅周辺まで南下した後、現在の名神高速道路が走っている敷地を通って、大津駅へと向かうものとなった(大津駅の項目も参照)。
その後山陰本線が開通し、後に近鉄京都線となる奈良電気鉄道や、市内の路面電車(京都市電)も乗り入れるようになり、当駅周辺は急速に発展していった。
1921年(大正10年)8月1日に東海道本線のルートが新逢坂山トンネル・東山トンネルの開通によって馬場駅(現:膳所駅) - 当駅間で変更・短縮されることになった際に、利便性を上げるため五条の市街地近くに駅を移設する案と、新しい市街地の開発を図るため当地の北部を経由するルートに変えて、二条駅が現在設けられている付近に新しい京都総合駅を設けようという案もあったが、市街地付近に線路を引き込むのは予算や用地・工事の面で困難であったことと、当駅付近で線路を迂回させるのはトンネル開通に伴う距離短縮効果を失わせるということから、どちらも立ち消えになった。
東海道新幹線の計画当初は、当駅を経由せずに京都府南部を短絡させて同地に新幹線の駅を設け、速達列車の「ひかり」は同駅を通過させる案となっていたが、自治体や地元住民などの猛反発を受けたことから、当駅に新幹線ホームを併設して全営業列車停車に落ち着いた経緯がある。また「のぞみ」が登場した1992年(平成4年)3月、東京発の一番列車「のぞみ301号」は名古屋駅と当駅を通過していた。JR東海の本社所在地である名古屋では「名古屋飛ばし」として問題となったが、京都では観光に適さない時間帯の列車であることから、ほとんど問題視されなかった。1997年(平成9年)11月29日のダイヤ改正で、この「のぞみ301号」は廃止されている。
詳細は「鉄道と政治」を参照
ラスベガスを行うための最善のもの[編集] 年表
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 日中の快速が高槻駅まで各駅に停車するのに伴い、この時間帯の当駅始発・終着の普通の運行を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、新幹線部分を東海旅客鉄道(JR東海)、在来線部分を西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。
- 1997年(平成9年)
- 7月12日 - 4代目駅舎となる新・京都駅ビル完成。駅部分供用開始。同時に近鉄京都駅と改札を分離する。
- 9月1日 - 駅ビル開業を控えて日中の当駅始発・終着の普通の運行を復活。
- 9月11日 - 京都駅ビル全面開業。ジェイアール京都伊勢丹開業。
- 1998年(平成10年)3月4日 - 新幹線改札口に自動改札機を導入。
- 2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカードICOCA供用開始。
- 2007年(平成19年)8月23日 - JR京都駅NKビル開業。ビックカメラJR京都駅店が入店。店内に嵯峨野線ホームと直結する改札口の西洞院口を開設。
- 2008年(平成20年)2月13日 - 南北自由通路の西側橋上(西口改札前)に「スバコ(SUVACO)・ジェイアール京都伊勢丹」開業[27]。
- 2009年(平成21年)7月20日 - 嵯峨野線当駅 - 丹波口駅間(京都駅構内は単線)が複線化。
[編集] その他(JR関連)
- 現在の駅ビルが完成すると同時に、接近メロディが西武鉄道西武秩父駅で使用している発車メロディとして使われていた曲に変更された。なお、暫くは発車時にもメロディが鳴動していたが運行管理システム整備後は廃止され、次列車案内の際にJR神戸線で使われているサイン音が採用された。
- 現行の駅舎には2・3代目駅舎には存在しなかった、駅名を示す看板(「京都」)が取り付けられた。なお、3代目駅舎については使用時期の末期となるJR化後に設置された。
- 南北自由通路を南(または南西)に八条通を跨ぐ形で延伸する計画があったが財政難などの理由で頓挫した[28]。
- 当駅から京阪電気鉄道京阪本線へは、JR奈良線利用で一駅目の東福寺駅まで出て乗り換えることが可能である。京阪本線の沿線には平安神宮、祇園や清水寺など著名な観光地も多いが、観光シーズンには京都駅からこれらに向かう路線バスが渋滞に巻き込まれ遅延することもしばしばあるため、京阪ではJR西日本とともに、定時性にすぐれた同ルートを観光客向けに推奨する広報を行っている。一例として、同駅烏丸口前にある京都タワー(京阪グループ)の外壁には、乗換駅である東福寺駅にて両社の路線が「直結」していることを強調した利用勧奨の広告が掲出されている。(後述のルートについては、特段の広報活動は行われていない。)
- なお、淀駅以南(大阪方面)の京阪沿線に向かう経路としては、近鉄京都線などで近鉄丹波橋駅に出て京阪の丹波橋駅に乗り換えるルートが比較的優位であると考えられる(合算運賃は東福寺経由より少し高くなる)。その理由として、京阪の東福寺駅には準急と普通しか停車しないのに対し、丹波橋駅には特急以下の全列車(近鉄側も特急以下全列車)が停車することや、過去に相互乗り入れ運転を実施していたことが理由と考えられる[要出典]。また、このルートは伏見・宇治方面へ向かう場合にも利用が可能である。なお、京阪線の最寄り駅は他に七条駅(約1km)があり、市バスが頻発している。
- 特急「くろしお」の京都駅到着時の車内チャイムは「祇園小唄」である。
[編集] 隣の駅
※東海道新幹線の列車および在来線特急・急行の停車駅は各列車記事を参照のこと。
- 西日本旅客鉄道
- ■JR京都線・琵琶湖線(東海道本線)、■湖西線
- ■新快速
- 山科駅 - 京都駅 - 高槻駅
- ■快速(朝の時間帯のみ、琵琶湖線内は普通)
- 山科駅 - 京都駅 - 長岡京駅
- ■普通(高槻駅 - 西明石駅間は快速となる列車を含む)
- 山科駅 - 京都駅 - 西大路駅
- ■新快速
- ■嵯峨野線(山陰本線)
- ■快速
- 京都駅 - 二条駅
- ■普通
- 京都駅 - 丹波口駅
- ■快速
- ■奈良線
- ■みやこ路快速・■快速・■区間快速・■普通
- 京都駅 - 東福寺駅
- ■みやこ路快速・■快速・■区間快速・■普通
- ※各路線の物理的な隣駅は、普通の停車駅と同様である。ただし、東海道本線の京都駅 - 西大路駅間には貨物専用の京都貨物駅がある。
- 東海旅客鉄道
- ■東海道新幹線
-
- 米原駅 - (栗東信号場) - 京都駅 - (鳥飼信号場)- 新大阪駅
-
[編集] かつて存在した路線
- 鉄道省(国有鉄道)
- 奈良線(旧線)
- 京都駅 - 東寺仮停車場
[編集] 近畿日本鉄道
[編集] 駅構造
近鉄京都駅 配線図 | |
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櫛形ホーム3面3線を有する高架駅で、ホーム有効長は6両編成分である。駅は3層構造で、1階は名店街、2階がホーム・改札口(中央口)・駅事務室、3階はJR東海の新幹線ホームとなっている。
1990年代後半にJR京都駅4代目駅舎が竣工し南北自由通路が通行可能になる以前には、烏丸口に有人個別対応の出札窓口が存在していた。また中央口改札には、開業当初から長らく国鉄→JR京都駅の内部にある形で乗換用の改札機があったが、現京都駅ビル建設および同駅南北自由通路設置に合わせて両社の乗換改札口は完全に分離された。そして駅リニューアルの一環として2007年12月1日からは、1階の八条口改札・切符売り場は廃止され、定期券売り場、駅営業所等を含めて2階改札口(中央口)に移転、集約された。
自動改札機は奈良線系統の他駅同様東芝製が設置されている。全て、赤い筐体 (EG-2000) であり、出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCAに対応。
- 1番線は特急専用ホームとして固定されているが、2,3番線の発着種別は固定されていない。昼間時は普通が2番乗り場、急行が3番乗り場から発車することが多い。
- ただし、終電間際で、その日の特急発着がすべて終了した場合、1番線から急行が発着することがある。
- 1・2番線は乗降分離(線路の両側に乗車専用ホームと降車専用ホームをそれぞれ配置し、旅客流動を分離すること)型となっている。ホーム配置は南から1番線乗車ホーム、1・2番線降車ホーム、2番線乗車・3番線乗降車ホームの順である。
- 駅リニューアル
2005年12月22日に、近畿日本鉄道は近鉄京都駅を改築し、同駅3番線の北側に1線増線するなどの計画を発表した。
2007年3月1日時点での計画概要[29]、2008年3月6日時点での「京都駅ターミナル整備工事の概要と進捗」 [30]によると、
- 1階改札口を廃止し、2階改札口を拡大する。
- 旧1階改札口跡へ、近鉄名店街を増床し、2008年10月にリニューアルオープンする。
- 現在の3番線の隣に、片面ホームの形として4番線を増設する。2008年4月に工事に着手し、2012年春に完成予定。
- 増設する4番線の上空部分に、宿泊特化型のホテル(地上8階、368室)を建設し、2011年秋に開業予定。
などが計画され、工事が進められている。これに伴い、2007年11月30日終発をもって、1階にあった八条改札口・切符売り場・トイレ等が廃止された。
「近鉄名店街」については、1階の旧改札口跡への増床が完了し、「近鉄名店街みやこみち」と言う名前で、2008年10月にリニューアルオープンした。
なお、同駅上に建設していた「ホテル近鉄京都駅」は2011年10月1日に開業した。
[編集] 利用状況
近年における1日の乗降人員は以下の通り。
- 2005年11月8日:89,420人
- 2008年11月18日:90,194人[31]
- 2010年11月9日:87,880人[32]
いずれの数値も、京都線・京都府内の近鉄の駅では最多の利用客数である。 なお、2009年度の1日平均乗降人員は、108,095人[33]。これは近鉄の全調査対象駅(287駅)中5位である。
[編集] 沿革
近鉄京都線の前身は奈良電気鉄道であり、同社が京都駅への乗り入れを最初に計画した時は、地下線を採用して国鉄駅の下を通り、烏丸口の北側へ設ける予定としていた。しかし、昭和天皇即位の礼が実施されるのに間に合わせる必要があったこと、それに予算の問題もあって、とりあえず仮設駅として、現在地に地上でターミナル駅を建設した。
その後、仮設置の予定であった駅設備は移設されることもなく、東海道新幹線の建設に合わせて駅を高架化し、現在のように新幹線駅の真下にホームが設けられる構造となった。
[編集] 年表
- 2009年(平成21年)3月20日改正現在
- 1928年(昭和3年)11月15日 - 奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)が京都駅 - 桃山御陵前駅間を開業させた際に設置。
- 1948年(昭和23年)7月30日 - 3号線新設工事竣工
- 1963年(昭和38年)
- 9月1日 -高架化。
- 10月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道京都線の駅となる。
- 2005年(平成17年)
- 2月24日 - 駅構内での列車案内の放送を自動放送に切り替え。
- 11月3日 - 京都線開業77周年。
- 2006年(平成18年)
- 3月6日 - 非常通報装置を設置。
- 6月1日 - ICカード対応の乗り越し精算機の設置。
- 6月26日 - 京都駅改良工事に伴い3番線の停止位置を変更(停止位置を西側の東寺寄りに約1両分20m)。
- 2007年(平成19年)
- 9月22日 - 京都駅改良工事に伴い中央改札口を移動(約10mホーム寄り)。
- 11月30日 - 京都駅改良工事に伴い八条口改札口を閉鎖。
- 2008年(平成20年)10月9日 - 近鉄名店街を、「近鉄名店街 みやこみち」としてリニューアルオープン。
[編集] その他(近鉄関連)
- 普通電車は大和西大寺行がほとんどであるが、急行と特急は列車によって行先が異なり、大まかに分けて急行は奈良行、天理行、橿原神宮前行(大和西大寺まではすべて同じ停車駅。なお奈良行は日中は地下鉄京都駅からも利用可能だが、当然地下鉄の運賃も必要になる)が、特急は奈良行、橿原神宮前行、賢島行がある。
詳細は「近鉄特急」を参照
- PiTaPa・ICOCAのチャージは改札外の券売機、改札内の精算機・チャージ機で取り扱っている。
- 22600系特急用車両における京都駅到着時・発車前の車内放送チャイムは「大きな古時計」。かつての21000系(アーバンライナー)や23000系(伊勢志摩ライナー)などでは「サンタ・ルチア」が用いられていた。
[編集] 隣の駅
- 京都線
- ■急行・■準急・■普通
- 京都駅 - 東寺駅
- 1946年まで、当駅と東寺駅の間に八条駅が存在した。
- ■急行・■準急・■普通
[編集] 京都市営地下鉄
[編集] 駅構造
地下鉄 京都駅 配線図 | |
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島式ホーム1面2線を有する地下駅である。改札口は北改札、中央1改札、中央2改札、南改札の4か所で、JR在来線への乗り換えは中央2改札が、JR奈良線・新幹線および近鉄線との乗り換えは南改札が便利である。駅番号はK11。エレベーターは日本オーチス製。2010年から「ポルタ前」という副駅名が付いた。
[編集] 利用状況
2009年度の1日平均乗降人員は、103,660人[34]である。これは京都市営地下鉄の全駅中最多である。
[編集] 沿革
便宜上、京都市電京都駅前電停の歴史についてもここで触れる。同電停には伏見線(のちに河原町線に編入)、堀川線、烏丸線が乗り入れていた。
- 1895年(明治28年)2月1日 - 京都電気鉄道(のち京都市電に統合)の伏見線七条停車場(後の京都駅八条口)- 下油掛(後の京橋)間が開業。
- 1901年(明治34年)4月12日 - 伏見線が京都駅前電停まで延伸。
- 1904年(明治37年)12月28日 - 京都電気鉄道堀川線が四条西洞院から延伸し京都駅前に乗り入れ。
- 1912年(明治45年)6月11日 - 京都市電烏丸線が開業。
- 1918年(大正7年)7月1日 - 京都電気鉄道が京都市に買収され、京都市電の路線となる。
- 1929年(昭和4年)1月16日 - 京都市電伏見線が河原町線に編入される。
- 1961年(昭和36年)8月1日 - 京都市電堀川線(通称:北野線)が廃止。
- 1977年(昭和52年)10月1日 - 京都市電烏丸線の残存区間(京都駅前 - 烏丸七条)が廃止。
- 1978年(昭和53年)10月1日 - 京都市電全廃(河原町線も廃止)。京都駅前電停はこれで廃止となる。
- 1981年(昭和56年)5月29日 - 京都市営地下鉄烏丸線(当駅 - 北大路駅間)と開通と同時に地下鉄京都駅開業。
- 1988年(昭和63年)6月11日 - 京都市営地下鉄烏丸線(当駅 - 竹田間)が延伸開業。
[編集] 隣の駅
- ■烏丸線
- 五条駅 (K10) - 京都駅 (K11) - 九条駅 (K12)
- ( )内は駅番号を示す。
[編集] 他の「京都駅」
- 阪急京都本線の大宮駅は、1931年の開業時から河原町駅へ延伸開業した1963年までの間、経営者の変更があったものの、京都側のターミナルであったことから「会社名の略称を冠した京都駅」を正式名称としていた。すなわち、同線が1943年までは京阪電気鉄道の運営であったため京阪京都駅を、1943年から1963年にかけては阪急電鉄の前身社名であった京阪神急行電鉄を略称を用いて京阪神京都駅を正式名称としていた。
周辺は商業地域である。
[編集] 烏丸口
駅の北側に位置している。
[編集] 西洞院口
[編集] 八条口
駅の南側に位置している。
[編集] バス路線
南東北・関東・中部・中国・四国・九州方面の高速バス路線が発着している。また市内を縦横に結ぶ市内バスの起点や市内定期観光バスの出発地でもあり、多数のバスが発着している。
[編集] 路線バス
[編集] 烏丸口
京都駅前停留所
[編集] 八条口
京都駅八条口と京都駅八条口アバンティ前、京都駅八条口西の3つの停留所がある。京都駅八条口は南北自由通路に近いところ、京都駅八条口アバンティ前は八条東口に近い場所、京都駅八条口西は新・都ホテル付近にある。
京都市交通局 (京都駅八条口アバンティ前)
- 1番のりば
- 2番のりば
- 3番のりば
- 4番のりば
- 5番のりば
- 6番のりば
- 19号系統: 中書島 横大路車庫行
- 78号系統: 久世工業団地行
- 81・特81号系統: 中書島 横大路車庫行
その他の事業者
[編集] 高速バス(烏丸口)
[編集] 烏丸口(JRバスのりば)
国鉄時代から自動車駅として独立した窓口が設置されていた。
[編集] 烏丸口(民営バスのりば)
[編集] 新阪急ホテル前
阪急バスが共同運行している路線などが発着する。
[編集] 高速バス(八条口)
[編集] 八条口ホテル京阪前
空港リムジンバスと京阪バスが共同運行している路線などが発着する。
[編集] 八条口(八条通東向)
近鉄バスが共同運行している路線(一部を除く)などが発着する。下記路線のうち発車場所と到着場所が異なる路線もある。
[編集] 八条口(八条通西向)
[編集] 新・都ホテル前
- 近鉄バス
- 南海バス
- その他の高速バス
[編集] その他のエピソード
- 同駅烏丸口側の駅前広場で、客待ちのタクシーが溢れ返り周辺道路の渋滞が深刻化したため、2011年10月1日にJR西日本などが、タクシー乗り入れ規制などを柱とした社会実験を実施した。実験内容は、客を降ろした後のタクシーのみ駅前広場に進入可能とし、空車の乗り入れを禁止するというものだが、実験開始直後からタクシーが不足し、タクシー待ちの長蛇の列ができるなどしたため、苦情が殺到する事態となり、実験は同日午前中で一旦打ち切られた。今後実験を継続するかは未定としている[36]。
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