Notebook: A6m3zero | インパルス・ブルー | ページ 3
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毎日散歩している。今日も50分は歩いた。すこし気温が緩んでいるので助かる。iPodにヘッドフォン。 今日の曲はドボルザークの「新世界交響曲」。私の愛聴盤は「イシュトバン・ケルテッシュ指揮のウィーンフィルハーモニー」であります。私が初めて「新世界」を聴いたのは中学時代に親戚の家で聞いた「ラファエル・クーベリック指揮のウィーンフィル」でありました。1962~3年です。名演の誉れ高きLPレコードでありましたがモノーラルでした。どうしても自分のLPが欲しくてナケナシのお小遣いを貯めて買ったのがステレオ盤の前述のケルテッシュ盤。英デッカのクラシックLPレコードは「ロンドン」レコードで出ていて格好よかったですね。ケルテッシュは後年「イストバン・ケルテス」と表記されるようになりましたが、はてどっちが正しいんだろ?ハンガリー人です。 さえないアメリカの草原の写真のジャケットでありまして、魅力の無い装丁であります。ただただ「ロンドン・レコード」ということと「ステレオ」「ウィーンフィル」というだけがこのレコードを私に買わせた要因。同じころにCBSレコードから出たバーンスタイン・ニューヨークフィル盤はロワーマンハッタンの摩天楼をバックにスタッテンアイランド・フェリーに乗った若い米国美女がほほ笑んでいる写真のジャケット。私の親友が後日買ったレコードがそれで、すごく羨ましかった。もうそのころから私はジミなモノ選びをする性格だったみたい。 しかしながら、演奏はウィーンフィルのが素晴らしい。荒々しい金管と繊細な弦のコンビネーションは何物にも代えがたい。ケルテッシュの指揮は至極スタンダードな曲運びでなんら奇をてらったものではないのですが、ウィーンフィルはそれに見事に応えて名演を聴かせてくれるのでありました。何回このレコードを聴いたでしょう。100回?200回かも。当然第四楽章の弦の力強い導入部から金管の強奏で始まる主題を聴きたい一心で1~3楽章を聴いていたのですが、だんだんとそれぞれの楽章が4楽章に劣らず素晴らしい楽曲であることが分って来たのでありました。私の頭の中では見たこともないアメリカの風景が広がってくるのであります。まあ、西部劇の映画や旅行ガイドの写真なんかで印象にのこっているイメージが� �� ��を走り回っていたのでしょう。第二楽章のテーマ(家路)などは完全に南部のプランテーションや農場の夕日に映えた景色を思い描いて聴いておりました。 まさか、そのアメリカに住むことになるとは。少年時代には只の「憧れ」にすぎないアメリカだったのに。運命のいたずらですね。 ジャケット写真を見てお気づきの方がおられるかもしれませんが、1960年ころは「新世界交響曲」は「第5番」となっておりました。今は「九番」ですね。私のレコードは1962年盤ですが、あとになって4曲も埋もれていた交響曲が出てきたのであります。 「新世界交響曲」にはまだ思い入れがあります。ニューヨーク駐在員となって1995年頃、リンカーンセンターのエイブリー・フィッシャー・ホールでニューヨークフィルのこの曲を聴きました。全楽章素晴らしい演奏でありましたが、とりわけ第二楽章のラルゴは絶品でありました。それもそのはず、1893年にこの曲をカーネギーホールで初演したのはニューヨークフィルでありました。以来ずっと100年以上に亘って連綿と弾き継がれてきているのであります。彼らの演奏する第二楽章はそれはそれは切々とした「語り」を想わせるうったえる様な響きでありました。楽器による演奏を聴いているというよりも、なにか「朗読」を聴いているような、もう永遠に続いていて欲しいと思わせる瞬間だったのです。家内と一緒に聴� �� ��ていて、「凄いね」という一言しか感動を言いあらわせる言葉が無かった。
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健康維持(本音は体重減量)のために散歩をするようにしている。去年は調子にのって毎日1時間くらい速足で歩いたりしたら、昔傷めたアキレス腱の痛みが再発して一時は家のなかでも歩くのが難しい状態になった。減りかけた体重が運動を休止していた1カ月で元に戻るどころか、前よりも太ってしまったのには参った。息子たちに『徐々に距離を増やしていかないとダメだよ』と当たり前のことを言われた。ようは、63歳過ぎの自分の体は「労わりながら運動をする」という老体の領域に足を踏み入れているんだ、と気が付いた次第。以来、ぼちぼち歩くことにした。 我が家から数分歩いた処に大きな墓苑がある、 敷地が三角形の墓苑で、舗装された周囲の道を歩くと一周が1.5キロ程度。名称は「Valleau Cemetery」という。名前の由来とか、開苑時期など詳しいことはまだ知らない。すぐ横に「Old Paramus Charch」という古い教会がある。この教会、なんとワシントン将軍の活躍した独立戦争の時に野戦病院になったという歴史がある。↓写真で遠くに見える尖塔がそれ 我が家から出発して墓苑を一周して帰るとだいたい家からの往復時間を入れて30分くらい歩くことになる。2周したら40~45分。3周で1時間。というところ。 もうアキレス腱の痛みにはこりたからほどほどに1周か2周で終わりにしている。 いまは空気が澄んでいて気持ちがいい。青空を仰ぐといつも飛行機雲が何本も横切っている。ここはニューヨークだもんなあ、上空も忙しいのだ。などど考えながらiPodで交響曲を聞きながら歩く。だいたい2周したら長めの交響曲が一曲楽しめる。今日はマーラーの交響曲第一番「巨人」を聴いた。ブルーノ・ワルターがニューヨーク・フィルを指揮したもの。私の一番好きな演奏は同じワルター指揮のコロンビア交響楽団の演奏でありますが、やはり違いは歴然でした。絶対にコロンビア響との録音がいい。録音時期は1961年。ワルターがすでに84歳の時のものです。で、このコロンビア響というのは実際には存在しない楽団。この時はワルターのステレオ録音のためにCBSレコードが編成しました。録音のための寄せ集め楽団 なのです。ハリウッドの映画音楽では普通に行われている手法で、MGM Studio Orchestraなどが有名です。すでにビバリーヒルズで引退生活をしていた大御所ワルターを最新鋭のStereo LP録音に引っ張り出すためにCBS Recordが作ったのです。映画産業絶頂期のハリウッドだったから優秀な演奏家がロサンゼルスに沢山集まっていたことも幸いしたのかも。大編成の交響楽団ではないので「巨人」の演奏には向いてないはずなのですが、この録音だけは例外。何故かすごいのです。他のどの指揮者、どの交響楽団の演奏にも無い、ワルターだけのマーラーの世界がそこに有るのであります。ワルターはマーラーの弟子であり親友でもありましたから師匠の持っていた音楽性を彼なりに昇華して指揮した結果ではないでしょうか。この録音の翌年の1962年に彼は他界しております。愛聴盤。
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大阪駅の変貌はすごい。駅全体を覆ってしまう大きな屋根はなかなか壮観。上の写真は神戸方面側のプラットホーム。 正面の大きな歩道橋には時計台がある。西日が当たっていい雰囲気でした。 京都方面のプラットホームはこんな↓感じ なんでも、聞くところによると、ホームの個々の屋根は大屋根が出来あがり次第撤去する計画だったそうです。ところが、いざ屋根が完成してみると雨の日に風が有ると雨が吹き込んできて『ドにもなりまへん』ということで残すことになったらしい。偉い建築家さんも横殴りの雨が吹き込むことまでは計算できんかったか。 北側のビル(ノースタワーという)に長ぁ~いエスカレーターが有ったので乗って見た。中層階に屋上があって展望台になっておりました。西には六甲山系が遠望されます↓ 北側は川西が見える。伊丹に着陸中の飛行機も見えます↓ この階には映画館が有るらしくてポスターが並んでました、「仮面ライダー?」ですよね?これ↓ 「仮面ライダー」のあまりの変わりように私はついていけません。まだコレ↓なら解かる 観たいな、と思ったのですが滞在時間が限られていたのでチャンスなし。何時かDVDで観るしかないね。山本五十六も(東宝の画く人物像は誰も定型的すぎる)東映が撮るとだいぶ切り口が違って面白くなっているんじゃないかと期待できるのですが、どうでしょう、、、
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「駅弁」って、いいですね。私は無類の駅弁好き。新幹線を選ぶ時はできるだけお昼飯時に走っている便を予約します。そして、窓側の席に座って駅弁を食べる。この場合、列車が走ってないと駄目です。止まってる列車で喰う駅弁は意味ない。2割がた味が落ちる。(ほんまかいな) さて、12月29日に東京に行ったときに大阪駅で買ったのが↓この駅弁 大阪の味がバラバラと入っておりました でもこれ、千円もするんだよね。ちょっと高いな。たこ焼き一個しか入って無かったし。 駅弁とくればあては「ビール」。今回はキリン・ラガー・クラシックを試してみた。やはり復刻版だけあって昔の「苦み」が効いてました。売店ではアサヒビールのラガーの復刻版もあって、旭日旗みたいな朝日の出てる懐かしい缶でしたが、取り敢えずキリンを飲んでみた次第。 京都を過ぎたあたりから駅弁くいながらビールをちびりちびり。ああ~幸せ。 窓の外は愛知川(えちがわ、と読む)を超えたあたりから関ヶ原を過ぎるまで雪景色でした。 この景色も毎度おなじみの米原・関ヶ原の冬景色です。
ベローズの救急車サービスはバーモント州を下回る
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ナイアガラ·フォールズオンタリオ州の駐車場
松阪と津です 「セントレア」中部空港 続いて渥美半島の太平洋側「片浜十三里」 渥美半島の表浜海岸に十数キロにわたって横たわる海食崖であります。 1964年に封切られた「今日もわれ大空にあり」という東宝の航空映画でF-86F「セイバー」ジェット戦闘機が二機編隊でこの海岸を低空飛行してる場面が有ります。子供心に強烈に印象に残っているシーンでありますが、ここで飛んでいたんですね。この映画を最近DVDで購入して見てみました。ドラマの筋立ては当時の青春物っぽい古臭い内容なんですが、当時の空自がよくまあここまで協力するか、と感心するほどふんだんに訓練飛行(当時のブルーインパルスによるアクロ飛行シーンが凄い)の様子が撮影されております。実弾射撃訓練の様子も収められていて、F-86Fの魅力を大画面で捉えた映画としてはアメリカの「Hunters」(邦題「追撃機」)に優るとも劣らぬ優秀なものだと思います。高度2~3メートルと思しき超超低高� � �によるハイスピード・ロー・パスも収められています。『草をぶっちぎる』と謳われたのがこの飛行だったのですね。私が実際にブルーインパルスの演技を見るようになった1971年にはすでに高度が数メートルに上げられていて自分の目で見たことはありません。この場面だけどういうわけかブルーインパルス機旧塗装の機体が写っております。劇映画というより貴重な映像資料でもあります。 その舞台となった航空自衛隊浜松基地もすぐ見えてきました 成田にアプローチする際に見える南総の海岸 成田ではB滑走路(2500メートル)に南から着陸するのでかなり手前からA滑走路(4000メートル)が見え始めます これに横風用滑走路(C滑走路)をつけて「完成」としたかった設計者の頭の中には広大な飛行場が描かれていたのですね。返す返すも成田闘争を引き起こした政治の貧困が嘆かれる。 第一ターミナルが見えてきてもB滑走路には着かない 第二ターミナルを通りすぎてやっと着陸する。B滑走路が設計(本来は4000メートル)よりも短いせいなのですが、これでも確かに飛行場の大きさが実感されます。 成田は最近は東京からのアクセス時間が短くなってきて使いやすくなってきているので、これはとても良い事。しかし、国内線への乗り継ぎの不便さはいまだに大きい。LCCでも何でもいいから早急に導入して国内線フライトを増強すべき時だと思う。アジアの世界は日本をとり残して韓国・中国・シンガポールに軸足を変えつつあるではないですか。日本という会社のセールスマンたる政治家の方々の奮起を望みたいところです。
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関空をテイクオフ、明石海峡大橋が遠望されます、ホテル・ニッコーがターミナルに隣接しているのが良くわかります、楽に歩いてチェックイン・カウンターへ行ける 駐機している飛行機が少ない感じがしますが、この立地条件じゃ人気無いのは当然やね。伊丹空港の廃港は関空へのアクセスを顧客視点で根本的に見直して整備してからやらないと、本当に成田の二の舞三の舞になる。 滑走路が二本もあるんだからもっと利用航空会社は増えてもよいはずだもの そういえば、ピーチの飛行機が2機駐機しているのを見ました。こういったLCCの利用はどんどん促進していいですね 乗機は大阪湾をぐるっと一周して高度を上げていきます、神戸が見えてきました 小さいけど、魅力のある街、 そして神戸空港 伊丹・関空という強力なライバルがあるにも拘わらず作ってしまった神戸空港。苦戦しながらも地方空港としては結構善戦していると思う。特にスカイマークの羽田便の搭乗率の高さには驚く。「運賃が安くて」「アクセスが便利」であれば集客は出来るという証明がここにある。一日の便数を30便に限定したり(安全上の理由と国交省はいうが、なんとなく役人の意地悪みたいな気がする)、国際便は一切認めないという方針(これも意地悪か)があったりして折角の航空交通の発展を妨げているように思える。政治というのは国民という顧客にもっと目を向けていくべきだと思うがなあ。伊丹が便利なのは百も承知だけど、関空一本に絞るという約束を反古にする行政は結局は大阪の未来の発展を阻害してるんじゃないのかなあ。為� �� ��者に勇気が見えない。将来失われる伊丹の便利さは神戸で十分バックアップ出来るじゃないの。 暫く飛ぶと大阪の街が見えてくる、「大阪国」であります。ビルが林立しているところが梅田地区ですね、右端に大阪城が見えます、この地下に「大阪国・国会議事堂」があるのであります DVD買って「プリンセストヨトミ」を見た。なかなか良く出来た映画で楽しめたのでありました。残念ながら期待したほどの出来ではなかった。ま、これがこの監督の力量の限界なんでしょうね。相変わらず綾瀬はるか天然でいい感じでありました。中井貴一はお好み焼きとか関西弁は似あわヘンよ。「大阪国総理大臣」のところははまっていますが。 つづきはまた明日、、、
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今回の出張は急に決まったので何時も使っているルートの航空便が取れなかった。日本に来るときには日航のコードシェアでAmerican航空便だったし、31日の帰りの便は成田行きが関空出発しか空いてなかった。神戸の須磨を拠点にしている私には関空はかなり不便。神戸空港から成田便が出ていてくれればいいんだけどこれも無いし。関空からの成田行きは朝の8時15分発。これにチェックインするためには早朝6時三宮発のバスに乗るか、6時半発のベイシャトルに乗らねばならない。仕方ないので30日の晩に前泊することにした。JRで行ったのだけど、これがまた遠い。神戸からNEXみたいなのが出ているわけじゃないので大阪駅で乗り換え。ホームで急行待つの寒いから発車時間の早い空港快速に乗ったはいいが、ま� �� ��でドン行並みのノロノロ運転。成田より遠い感じがしたですよ。このアクセスの悪さじゃ評判悪いのは当然だ。成田で失敗、関空で失敗、日本の航空行政(というか空港運営)ってまったくお粗末だな、と実感します。 ただし、関空駅に着いたら後は快適でありました。駅から日航ホテルへはスイスイと行くことが出来た。ホテル自体も快適。おまけにコンビニ「ローソン」が一階にあるからホテルやレストランの食事を無理して食べないですみました。↓写真はホテルの窓から見た夜の関空ターミナル。 翌朝はターミナルでのチェックインが7時からなので、6時半からサービスが始まるホテルの朝食もちゃんと食べられた。 出発ターミナル4階の国際線チェックインに並んでカウンターに行くと『成田経由は2階の国内線でチェックインして下さい』という係員の返事。ええ?めんどいなあ、もっと早く言ってよなぁ、そんなこと。そそくさとそこを後にしたのでありますが、そういえば私の前に並んでた中国人もチェックイン・カウンターまで行った後すぐに出て行ったのを思い出した。彼らも犠牲者か。関空の日航はここら辺の案内をもっと分りやすく説明しなければならないよ。多分日航関係者は誰も此処で成田便のチェックインをしたことないんじゃないか?何処かに案内を掲示するか並んでいる客に事前に係員が知らせるとか、努力して欲しい。かなりがっかりした。 しかし、この時も関空のターミナルの設計は非常によく出来ているのが分った。エレベーターで何の苦もなく2階のチェックイン・カウンターに行けたのでした。汗をかかなくて済んだ。 お土産の冷凍「たこ焼き」も買えたし。 朝日の燦々と降り注ぐターミナルで葛城山脈を眺めるのもいいものでありました。 そして、定刻に飛行機は出発するのであります。
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まだアメリカ東部海岸は12月31日午後11時ですが、日本ではすでに元旦の朝。2011年は色々な事件が盛りだくさんで、印象に残る年でしたね。私の場合は岳父が亡くなったこととか、合計5回も一時帰国をしてしまった、ということ。それと、トロンボーン(2nd trombone)奏者としてGlen Rock Pops Orchestraという隣町のオーケストラに入団させてもらった事、が大きな事件でした。 今日の10時頃JFK空港に帰ってきたので今は時差ボケの真っ只中であります。 元旦ですから、月並みに、富士山の写真をアップします。 先ずは12月30日、東京から神戸に帰る新幹線から撮った富士山。快晴だったのでいい写真が撮れました。 この日は本当にいい天気でした。30日なので帰省ラッシュが心配でしたので、朝8時33分の「ひかり」が三人垳の真ん中席2席空いてるというので即指定席入手。駅に着いてみるとまだ大混雑まではいってなかった様子。そこで7時33分の「ひかり」の自由席に並んで難なく座って帰ることが出来ました。 偶然東京駅で「ドクター・イエロー」と呼ばれる点検車が停まっておりました。さっそく熱心なファンがバシャバシャと写真を撮っていて、なかにはホームから乗り出して撮ってるのがいたりして、盛んに構内PAで注意されていた。 飛行機の写真ファンも同じだけど、人の迷惑顧みず、傍若無人に振る舞うマニア無礼には閉口する。 ↑この写真は12月31日関空から成田へ移動する飛行機から撮った富士山。飛行機が揺れているせいかピントが上手く合わせられないのには困った。編集している時によく見たら、もうひとつ別のJAL機が山頂近くを通過中であります。 皆様今年も宜しくこのブログお引き立てのほど、宜しくお願い申しあげます。
大砲のオフィスビルはどこにあるのでしょうか?
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短剣滝
12月25日のアメリカン航空便(JAL7005便)で成田へ。久しぶりにAAに乗ったらチェックインがセルフになってた。 日航とコードシェアしているから画面に「日本語表示」もある。楽。手順に従って必要事項を選んでいくと下のトレーに搭乗券が出てくる。それを持って奥の手荷物預けのスタンドに行く。アメリカンな陽気なオバちゃんが対応してくれたからいいものの、ベルトコンベアまで持っていくのは客。省エネ(航空会社にとっての省エネ)徹底してます。 私の手荷物は2個だったのですが、プライオリティーの赤いタグをつけたにも関わらず、成田で出てきたときは一番最後だった。どうなってんのかね?さすがAAであります。チャプター11になるわけよ。 さて、ターミナル8(AAの専用ターミナル)は御覧の通り、がらがら。アメリカのメーカーさんの言うとおり、クリスマス・デイに旅行するアメリカ人は稀。 朝飯のレストランには客がいた。 ラウンジから外を眺めていたらなんとボーイング757が通りすぎた。まだ使ってるのね。いい飛行機でわたしも好きだけど、古いよ。 此処からはマンハッタンが少し見える。エンパイアーステートビルを背景にJAL便が着陸してきた。時間的にみて「6便」でしょう。 さて、飛行機に乗ってみて、オドロイタ。これは日本の航空会社の便かい?と目を疑うほどの日本人の多さ。満席。95パーセントが東洋人。アメリカの白人連中は数人を数えるのみ。8割が日本人。残る1割半は中国人と韓国人。当然CAは皆アメリカ人。なぁ~るほどね、もしこれが日本行きの飛行機でなければ客はまばらだったわけ。JAL5便の切符が取れない理由がわかった。アメリカンのCAは女性7割男性3割、という感じ。皆事務的に仕事をこなす。一人だけ感じのいい女性CAがいたが総じて「期待通り」テキパキと作業をする。接客という雰囲気は殆ど感じない。客と乗務員は文字通り「対等」なのであります。貴方乗る人、私乗せる人。 結局私はお酒も飲まず、ひたすら自前のNCヘッドフォンでiPodを聴きながら14時間成田まで「忍耐」したのでありました。 成田から伊丹への乗り継ぎ便の日航機に乗ったら、真からホッとしたよ。 写真は成田離陸時に見えた夕映えと富士。 総括。よっぽどのことがない限りコードシェアのアメリカ機には乗らないこと。少々料金が高くても日航に乗るに限る。
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急に日本へ出張することになった。それも12月25日にニューヨークを発って31日の成田発の便で帰る、という。ジャパニーズビジネスマンやな。退職したっていうのに。 今週月曜日出張が決まった時にはすでに日航の5便は安いチケット売り切れ。しょうが無いからアメリカンのコードシェア便を調べたらまだ空きがあった。即格安券を購入。JL7005という便名があるものの要はアメリカンAA167便のこと。取引先のアメリカ人にこの話したら、『クリスマスの当日に飛行機乗るなんて、アメリカ人じゃありえんな。多分客は君一人できっとスチュワーデスが二~三人でサービスしてくれるぞ、いいぞォ』などど冗談言われた。私の本音はアメリカの航空会社の飛行機にはあまり乗りたくない。日本の飛行機に比べるとCAの質が違いすぎるから。それにエコノミーはお酒類は有料だしなあ。そしたら、今日ネットで空席を調べてみたら殆ど満席。なんだよ、話が違うじゃないの。もう搭乗前にワ� �� ��ンを多めに飲んで14時間ひたすら寝てるしかないな。もしかして、乗ってるの皆日本人だったりして。もしそうだったら笑っちゃいますね。(帰ったら成り行きレポートしますよ)26日の月曜日の夕方に伊丹に着くのでありますが、ニュースによると日本は寒波が来ていてお天気良くなさそう。 27日の晩は会社の皆さんと忘年会して今年の憂さを晴らそう。28日が御用納めだそうなので皆早々に帰宅する。誰も付き合ってくれないから私も姉の家に戻って大人しくしていましょう。 私の場合、12月30日が母の命日なので墓参りで出来るから今回の出張は誠にありがたいことです。母は昭和57年12月30日の朝、死ぬ前の特有の呼吸(死前喘鳴のような感じ)を少し繰り返した後、静かに旅立って行きました。翌31日が告別式になってしまう、という誠にあわただしい大晦日になったのでしたが、正月でなくて良かった。弔問に馳せ参じた叔父が枕元で『おばちゃん、ありがとう』とささやいていたのが印象に今も残っております。元旦を避けて逝ってくれた、ということに『ありがとう』と言ってくれたのでした。何時もちょっと違った考えをする叔父でありましたが、この時もそんな感じでありました。この叔父には教えられることが多かった。 あれ?話がそれました。緊急出張でしたね。 31日のアメリカに戻る飛行機は日航6便が取れたので気兼ねなく帰れそうです。しかし、この便も満席。大晦日の昼頃成田を発つわけですが、FJK着陸寸前に日本時間では元旦になります。ニューヨークではまだ31日の朝。さて、機内では度の様な会話が交わされるんでしょうかね。「良いお年を」?「明けましておめでとうございます」?機内食はどうなるんでしょうかね?JFKに着く前の朝食は「オセチ」かな?「年越し蕎麦」か?やっぱりレギュラーの「肉まん」かな?ささやかな楽しみ。これも帰国後レポートしましょう。 では、行ってきます。
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今年の11月、旦那マーク・ケリー海軍大佐の引退セレモニーでのギャッビー。ワシントンのアイゼンハワー・ビルで引退式があったのに参列した時のもの。 家族とともに参列した彼女(左の花束を持ってない女性は下院議員Debbie Wasserman Schultz)、すごく晴れ晴れとした顔であります。議会に初めて復帰した頃に比べるとショートヘアながら頭髪も大分板に着いてきたし、いいですね。でも、右手にはまだ添え木が見えます。 次の一連の写真は地元空軍の11月の食事会にケリー大佐とフード・サービスをした時のもの。 右手はまだ不自由なままと思います。しかし、彼女の昔の笑顔が戻ってきていますね。 空軍もすごく気を使ってくれているようで、「ギャビー」のエプロンだけ特別にパーソナライズされております。 これらの写真を撮った時はまだケリー氏は退役まえのようで、名札に「大佐・マーク・ケリー」と書いてありました。 どんどん良くなって、これからの政治的な活躍が期待したいと思います。 以上の写真はギャビーの公式サイトからの転載なのでちょっと気が引けたのですが、思いきって無断掲載。
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いよいよ空自の次期戦闘機が「F-35」に決まりましたね。もたついたですね決定までに。F-2の時のドタバタよりもまだマシな成り行きではありました。去年F-22は駄目だ売ってやらないよ、とアメリカから言われたのは結果的には不幸中の幸いかも。日本の住宅事情から言っても「キャデラック」(F-22)は車庫に入らんよ。中型車のF-35が妥当な線でしょうね。 さて、このF-35という戦闘機。まだ目で見た日本人は少ないと思いますが、私は今年5月のワシントンのアンドリュース空軍基地のエアショーで偶然みることが出来ました。エアショーの開幕に合わせてサプライズでフライバイしたのであります。 チェイスプレーンのF/A-18と並んで飛んでくるF-35。この角度から見たシルエットはF-22に似てます。 突然の飛来に会場は「ええ?信じられない」という雰囲気が漂いました。ここで両機は機体を左に傾けて観客から見えやすくします。 『おお!本物じゃないか!』という驚きとともにあちこちから拍手が湧きあがりました。 派手な機動飛行は披露してくれませんでした。機体を傾けてパスするだけ。まだテスト中の飛行機ですからね。 それでも「初物を見た」という満足感が十分ありました。 お世辞にも格好いい飛行機とは言い難い。多分F-22と同じで、一旦機動飛行を披露したら私達素人でも驚くアクロを見せてくれるでしょう。評価もガラッとかわるでしょうね。 呆気なく通過して行ってしまいました。来年のショーでは本領発揮してくれるものと思います。楽しみが増えた。 ↓次の写真はNavyのサイトに載っていたもの。この時にチェイスプレーンから撮影したものと思います。私は画面左下のフロントラインで写真を撮っておりました。まだ朝の10時くらいだったので観客数が少ない時でした。無断掲載御免。
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日本に帰った時に撮ったスナップをすこし、、、 先ずは、私の教会のお御堂。垂水カトリック教会の聖堂です。神戸の垂水区(たるみ区と読みます)にある教会ですが、50年以上前に献堂された建物なのに阪神神戸大震災にもびくともしませんでした、、、 中村勝郎さんという建築家の設計です。温厚博識な素晴らしいカトリック信者でもありました。とてもいい設計だと思います。私はここで洗礼を授かりました。 その垂水の丘の上のほうから見た播磨灘の夕焼け雲。冬の夕焼けが好きです、、、 長野に行くときに利用した「特急信濃」11号、、、 名古屋で乗車。昼頃だったので乗る前に駅弁を買ってから乗る。買ったのは、いろいろ迷った挙句「味噌カツ弁当」。 味噌がカツの上に乗っているのが欲しかったのですが、衣の外にしみこませてある調理法の味噌カツでした。ちょっと期待外れ。味は美味しかった。味噌カツ弁当を食べながら木曽路を北上した、、、 生憎の雨でしたが、それなりに風情あり。 翌日、長野からは「特急あずさ」で立川へ移動した。車窓から見た「善光寺平」、、、 長野盆地は善光寺平という別名があるのです、、、 「あずさ」車窓から見た景色、、、 ↓手前に写っている鉄橋は小海線かな? ↓鳥居が日本らしい
バージニア州のメモリアルデーの週末の観光名所
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シュワルツ製造スーフォールズ
伊丹空港 伊丹で搭乗待ちしている時に見た「JALエコジェットネイチャー」機↓ ミドリのシッポ(垂直尾翼)を鶴丸にしたので全体を新塗装にしたそうです ↓こちらは普通の777機 ↓エンブラエル170機。これは旧塗装のまま。機体が新しいから次の塗装まで「天下御免の向こう傷」あと暫くはこのまま見れることでしょう↓ 帰りもシカゴで乗り換え。シカゴからはアメリカン航空のCRJ700という小型機に乗ってニューワークへ戻った。小型機なのに前三列はファースト(国内線の)クラスが設定してあって、後ろのエコノミーとは座席仕様が随分違った。1時間半くらいの飛行だからいいけど、、、やっぱり、そういったファーストクラス人種を見ると、、、悔しいな、、、金持ちに成りたい、、、 さて飛行機の窓からの景色も今回で最終回。最後はエリーです。ペンシルバニア州がちょこっとエリー湖に面している海岸線に存在する都市です、、 エリー市はエリー湖の航海が華やかなりしころに一番輝いていた都市でした。今回調べていて知ったのですが、「エリー」という名称は先住民(所謂インデアン)の「エリー族」からとったのだそうです。てっきり探検家かなにかの奥さんの名前くらいにしか認識していなかったのですが、、、やはり、調べてみるもんですね。しかも、エリー市のある地域はエリー族ではなくて、イロコイに属するセネカ族が住んでいたということであります。ややこしい ここにも立派な国際空港があります。ペンシルバニア州第三の都市ですからあって当然か。 かなり遠くから撮影したのでさすがのCanonSX30ISの超望遠も飛行機の揺れには降参。ボケてしまいました。 エリー市は「エリー・ラッカワナ鉄道」でも有名です。現在は「コンレール」という会社になってしまっていますが、「Erie-Lackawanna」の名前は今もニュージャージーのホーボーケン駅に残っていて、ハドソン川に面した古い駅舎の屋根に大きなサインが有ります。私がNY駐在員の時に毎日の通勤でフェリーボートに乗るたびにその古ぼけた、しかも堂々とした、サインを見るにつけ「一体エリーラカワナ」ってなんのことなんだろう、と訝っていたのでありました。いまだにその鋼鉄のサインを残しているところが、またいい感じです。ニューヨーク見物の際には是非ともハドソン川のニュージャージー側を見て下さい。ロワーマンハッタン(マンハッタンでは「ダウンタウン」と呼んでおります)の西岸から肉眼でも見えますから。エ� �� ��ーで一番有名な企業は「GEトランスポーテーションシステム」社でしょう。でっかいディーゼル機関車を作ってます。 エリーからスクラントンまでの30分くらいの東行き飛行はずっと山また山の山岳地帯を飛びます。ところどころに川に沿った地方都市や高速道路が見えるのですが基本的に「山」の連続。これぞペンシルバニア。去年(え?一昨年か?)間寛平さんがアースマラソンでペンシルバニアを横断した後で『ペンシルのあの長い上り坂にはまいったで』と言ってましたが、御存じだったかどうか知りませんが、彼はその時アパラチアン山脈を横切っていたのでした。だらだらと長い上り坂と下り坂が幾つも幾つも出てくるのです。農業と酪農と鉱業のくにです。
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ポコノ・マウンテンの西にワイオミング・バレーという谷間がある。写真は24日の帰りのアメリカンCRJ700機から撮ったもの、、、 ペンシルバニアの山のなかなのに結構住宅地が密集していますが、この地域は1940年頃までは「石炭」「鉄鋼」「絹紡織」で栄えたところなのです。谷を流れる川は「サスケハナ川」。下流に行くとハリスバーグを通ります。ハリスバーグ近郊では有名な「スリーマイル・アイランド原発」がある。 7日の行きのアメリカンMD-80からはこの地域のエアライン空港である「ウィルクス・バール/スクラントン国際空港」が見えました、、、 スクラントンは一時期はペンシルバニア州第三の大きさを誇る街でした。アメリカで最初に「路面電車」を走らせた街でもあります。とにかく石炭と鉄は凄い繁栄をもたらしたのであります。ピッツバーグも同じですね。 残念ながら1940年ころからアメリカのみならず世界のエネルギー転換が襲ってきて「油」と「天然ガス」に主役の座を奪われて衰退がはじまりかつての半分くらいにまでこの地域は人工減少しております。 さて、7日にここら辺を通過している時に、MD-80のずっと下の方を横切る旅客機がありました、、、 かなりピンボケでありますが、機体塗装の感じからして「US Airways」だと思います。おそらく先ほど見たWilkes-Barre/Scranton International Airportにアプローチ中だと思います アメリカでは飛行中にこういう接近を良く経験します。次の写真は24日のCRJから見た、上空をすれ違う東行の旅客機です。これもピンボケですが機体塗装から「SouthWest航空」と思われます、、、 そして極め付けが、数日前のブログにも載せたシカゴ・オヘア空港へ東からアプローチする2機です。私の乗っているアメリカン航空機と合わせて3機の同時アプローチ、、、 湖はミシガン湖、左側の飛行機の真下くらいにシカゴのダウンタウンがあります。霧でビル群が見えません。私の飛行機は多分ミシガン湖湖畔にあるLoyala Universityの上空あたりです。 平行滑走路に同時アプローチする機影は結構見ますが、二機も一緒に見るのは滅多に無い経験 このままの状態で三機とも無事同時着陸をしました。オヘア空港には他に二組の平行滑走路が横風用にあって、全部で7本。かつては最も忙しい空港と言われていた。今は、アトランタ空港にその座を譲る。 しかし大きければ良いってもんじゃないね、着陸したのが一番北側にある端っこの滑走路だったのでぐるっと空港を廻らねばならなくて、ターミナルに着くまでに20分くらい地上滑走したもの。おかげで飛行場の広さを実感させられた。ターミナルに着いたら着いたで、前の飛行機がスポットにまだ居座っていてここでまた10分くらい待機。アメリカンやユナイテッドに乗ると良くこういうことが有る。日本行きのJALに無事乗り継げるか心配したよ。事情が許せばやはり「直行便」に乗るに限りますね。
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デラウェア―川はニュージャージー州とペンシルバニア州を分ける州境です。ペンシルバニア州に入るとすぐにポコノ・マウンテンというリゾート施設の多い地域にさしかかります。 ↓写真はPocono International Racewayという自動車レース場です。三角形をしたデザインが特徴。NASCARレースなどが開催されるところです。11月24日のCRJ機からの撮影、、、、 アメリカ人は自動車レース好きです。 さて、この山深いところにも民間空港がある。Pocono Mountains Municipal Airportです 行きしな(7日)に撮った写真、、、 帰りしな(24日)に撮った写真、、、 こんな山奥に横風用滑走路を持つ立派な飛行場がなんであるのか、不思議。山奥とは言っても沢山の住宅がある工業的には栄えた地域ではあります。 続いてすぐに大量の風力発電施設が見えてきました 帰宅後調べてみたのですが、Waymart Wind Farmのようです。GE社製の1.5メガワット風力発電機が43基もあります。合計発電能力は64.5メガワット。 帰りの飛行機からは別のウィンド・ファームが見えました。場所はDelaware Wter GapのてまえでしたからBear Creek Wind Farmでしょう、、 こちらのタービン(風力発電では設備のことをタービンと呼びます)はスペインのGamesa社の2メガワットタイプで、12基あります。 風力発電は数少ないクリーンエネルギーの一つです。日本では三菱重工が手掛けています。重工が作るので勢い「重厚」になってしまって競争力いまいちかも。それでも、大事な技術です、頑張って安くていい製品を作ってほしい。彼らの風力発電は一から開発した本当の意味での国産技術です。長崎造船所で開発当初に試験機を作るということになって、名古屋の航空機部門からヘリコプターのローターを借りてきて発電機に付けて回してみた、というのです。風力発電をやってみようという発想を持ったのは大型ターボチャージャーの設計部隊。原発逆風のいま、千載一遇の拡販のチャンスでしょう。一気に歴史の表舞台に躍り出てほしいですね。もっとも、三菱はPWR原発も作っているので会社全体としては微妙?。
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11月に日本へ帰った時に飛行機から撮った写真を連載します。性根がガキのままだから乗り物に乗ったら何時も窓ガラスにおでこをつけて外をみてるのです。そしてコレっと言った「何か」が目に止まるとすかさずデジカメのSony T77かネオ一眼のCanon SX30ISを向けるのであります。デジタル一眼レフは大きすぎて旅には不向き。 先にもアップしたMorristwon Municipal Airport、、 民間の小型機だけを扱う飛行場です。こういった飛行場は北ニュージャージーだけでも5~6個はすぐに名前が出てくるくらい普通にあります。それだけ需要が多いということですね。クローズアップしてみると、、、、 右上の方に小型機が駐車場の車みたいに並んでます。左のほうにはビジネスジェットとおぼしき飛行機が数機いますね。飛行機はアメリカの忙しい人々にとっては「足」そのものです。 暫く飛ぶと「デラウェア―・ウォーター・ギャップ」という面白い地形が見えました。7日の行きの早朝のアメリカンMD-80機から撮った写真、、 アパラチアン山脈をデラウェア―川が寸断して横切っているのです。まことに雄大な地形です。早朝のため霧が出ていますが、その霧が出ている谷間にデラウェア―川が流れているのです。↓は帰りの11月24日のシカゴからニューワークに帰るアメリカンCRJ機から撮ったもの。快晴の昼頃の写真です、、、 7日の朝の写真と違って、南側から撮ったものです。川の流れが良く分ります。どうやってこんな地形が出来たんでしょうね。川に沿って走っている高速道路は「I-80」です。ニューヨークからサンフランシスコまでつながっている大陸横断高速道路です。この高速道路を使っても大陸横断には数日かかるといいます。飛行機が要るわけですよ。しかしI-80だけの横断ではまったく風情がないから、私は何時の日か「リンカーン・ハイウェイ」という旧街道を走ってみたいと夢見ています。1920年頃に整備された「全天候」ハイウェイです。何が全天候か?それは「全部舗装してあるから」。それまでの道は砂利道が多くて雨が降ったら走れなかったりしたので、このハイウェイが初めて全舗装で作られたのでした。マンハッタンのタイ� � �ズスクウェアとサンフランシスコのリンカーンパークを結んだそうです。実際に走ったら何日かかるやら。家人は付き合ってくれるだろうかね?一人旅はいやだから、息子でも誘うか、、、、?、、いや、親子喧嘩して旅は中断になるのが落ちだろう。やっぱり一人旅がいいか。 というわけで、飛行機の窓から下を眺めていると色んな発見があるのですよ、面白いね。
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昨日はニューヨーク地区が濃霧に覆われて大変でした。高速道路が渋滞。飛行機は遅れる。特に朝がひどかった。何時もなら20分で行ける処に1時間半掛ったりした。 夕方、マンハッタンの見える丘に行ったら、霧がまだ残っていた。霧にむせぶニューヨークです、、、 正面したに見える埠頭は「ピアー88」、街は「ミッドタウン」です。 右に目を移すと、エンパイアーステート・ビルが見えますが、これも霧に囲まれておりました そして、さらにダウンタウンの方を見たら、霧の彼方に建設中のワールド・トレード・センターがその威容を見せ始めておりました。建設途中というのにすでに廻りのビルから飛びぬけて高いです、、、どこまでのびるのやら 夕方四時半頃の写真なので薄暗いですが、霧のマンハッタンもいいですね。ここは元々港町ですからね、、、、似あいます。日本じゃ裕次郎ですが、こっちだったら、、、、、、?、、、ハンフリー・ボガートあたりでしょうか。
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今年も家内とアメリカモモンガとの熱き戦いが展開された。結果を先にいうと、家内の完勝。次々と罠にかかった こんな感じで捕まる。これ、7匹目。どうやらこれが最後の一匹らしくて、この後は屋根裏で全然音がしなくなったという、、、 我が家から10マイル(16キロ)離れた河原で放逐したが、いざ現地で網籠の蓋を開けてやっても片方の隅に丸まってなかなか出無い。 おどおどしながらもそろ~っと出てきた。 しかし、意を決すると行動が早い。このあとアッと言う間に近くの木に走り去ってしまった、、 しばらくこのまま動かなかった それはそうでしょう、籠に入れられてなにも分らないあいだにこんな大自然に放り込まれたんだから、周囲の状況も全然分らないだろう、おまけに彼らは夜行性動物だから日中の明るさでは目が見えにくいのかもしれない、、、、、と、、思ったら、一気に木の上のほうへ走って行った やはりモモンガですね、特徴のある羽が見えます、、、ここでまた下向いて暫く静かに様子を見ておりました 彼はさらに上へ昇って行ったので、とうとう見失ってしまった。 アメリカモモンガのテリトリー(行動範囲)は半径1.5マイルと言われているので、いくらなんでも此処から我が家へは戻ってこれまい。「元気でな」と心のなかで言って私は家路についたのでありました。
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芦屋で見た航空機の数々、、、 先ずは陸自のヘリから、AH-64D。現物を見ると感じますが、まるで戦車が空を飛ぶような頑丈そうな造りであります。通称「アパッチ」と呼ばれている、、、 次も陸自のヘリ、OH-1。国産ヘリです。 救難練習機のT-400。民間型は「ダイアモンド・ワン」と呼ばれる三菱MU-300ビジネスジェットです。 ロッキードC-130輸送機 川崎C-1輸送機 海自のE-2C早期警戒機 同じく海自のSU-1A救難機 アメリカに住んでて九州の芦屋に行く、というのもなかなかあるもんじゃないので、天気予報の「雨」を無視して行ってみたわけですが、行って良かった。時々は雲間から日が差す程度まで回復したのでF-15やF-2の展示飛行もあったし「ブルーインパルス」も制限内で精いっぱい飛んだ。満足しながら帰途についたのでした。 帰路、小倉駅で買った「カンコロ餅」を我が家で食べてみたら、とても旨かった。見かけが良くないから懐疑的だった家内も『これ、旨い』と反省。いいお土産も買えた。
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先ずはF-15「イーグル」の飛行ぶり、、、 タッチ・アンド・ゴー 続いてF-2ジェット戦闘機 両機ともやや控えめながら機動飛行を展示しました。
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降りてきた「ブルーインパルス」、、、 私にとっては一時帰国中に「ブルーインパルス」を見ることが出来ただけでもありがたいことでありました。本来ならば喝采を送る観客の中に居たかったのですが、、、 明日に迫った帰米のために早めに神戸に帰られねばならなかったので、そそくさと失礼いたしました。おかげで、交通渋滞はあったものの、遠賀川駅行きのシャトルバスに待たずに乗れて、夜8時前には神戸に帰ることが出来て荷造りも順調に行った次第。居候先の実の姉からは、バタバタと小倉くんだりまで「ヒコーキ」を見に行った疲れを気遣うでもなく、呆れてものが言えない、という視線を感じたのでありました。ま、それが普通ですね。 次回はF-15とF-2登場です。
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観客上空でジョインナップ(空中集合)を見せる、、、 お見事でした。この頃にはかなり青空が見えてきたのですが、あとでだんだん日が陰ってきました。風もきつくなってきて折角の「サクラ」も「雲」と「風」に吹き消されてしまった。雲の下になるために何時もより低いところで画いていたような気がしました。全然カメラの画角に入らなかったもの。 次、「レベル・オープナー」 ソロ機の進入。この入り方、機体の角度、格好いいですねえ、、 ソロ五番機の「インバーティッド(背面飛行)」 4機による「ローリング・コンバット・ピッチ」 ソロ二機による「カリプソ」 そろ二機「コーク・スクリュー」とそれに続く「タック・クロス」 全六機による「ツリー(tree)」 これにて展示飛行終了。滑走路向こうの南西から雨雲がじわじわと接近してきて、この頃には全く日が差さなくなってしまいました。寒くなっても来た。今日は雨雲と強い風に邪魔されながらのショーでありました。演目との間の待ち時間が長めになってしまったのはそのせいではなかったかと思います。パイロットの皆様お疲れ様でした。さすがに空自トップの人達であります。ありがとうございました。
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展示飛行の数々、、、、 芦屋で一番悩ましいのがこの逆光。雨や曇りは当然それなりに困ったものなんですが、日が照れば照ったでカメラ小僧たちを困らせる太陽の光。ここは滑走路が「西北西」を向いているので北側にあるハンガーの観客席から見る飛行展示の方向は「南南西」になるのです。午後の「ブルーインパルス」を見る時間にはもろ「逆光」。晴れれば晴れたで文句を言う見物人の我がまま。 続きは明日、、、
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続いてソロ五番機が離陸します。ローアングル・テイクオフというやつで、車輪を格納しても低空のまま増速して行きます、、 これ格好いいですね。滑走路端にさしかかった時にスモーク・オン、この後急上昇を見せます。 写真を編集していて気が付いたのですが、滑走路端にはオーバーラン防止用のバリアーネットが有るのです。煙の掛り具合でそれと分ります。五番機はこのバリアーネットを1~2メートルの高さでかわしているのでした。すごい。 最後に六番機の離陸。車輪を出したまま上昇、、、 そのままロール(横転)します。離陸直後でスピードがのってなくて車輪を出したままですから失速しやすくて危ない技です、、、 ソロ二機の離陸が終わるとすぐに1番機~4番機の編隊が「ファンブレーク」と呼ばれる会場通過を行います いよいよ展示飛行の開始です、、、、青空でないのが残念ですが、雨が降ってないだけでも良しとしなければ
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F-15やF-2のデモ飛行の時にはすこしは日が差してきていたのですが「ブルーインパルス」の展示飛行が始まるころからだんだんと日が陰ってきて、風まで強くなってきました。その中でちゃくちゃくと準備が進んで行くのを見て観客は皆安堵するのであります。 五号機。先に搭乗しているのは次期パイロット 私の立っているところは予備機の前で四号機から向こうが全然見えないのでウォークダウンの写真無し、、、、いきなり六号機の敬礼から、、、 搭乗 ヘルメット着用 エンジン スタート 機体各部作動確認 ↑写真はエアブレーキの展開確認をしている キャノピーを閉めて、発進準備良し 一号機から出発 続いて二号機 パイロットは手を振りながら出ていきます 私の立っているところはジェット・ブラストが吹きつけます T-4といえどもジェット排気は結構きます。暖かい排気(この匂いがいい)とエプロンの砂がビシビシ飛んできます。 横風がきついためか今日はダイアモンド・テイクオフ(ダイアモンド編隊を組んで四機が同時に離陸するやりかた)ではなく単機ごとの離陸でした。が、離陸するや4機はすぐに左旋回でダイアモンドを組み会場に進入して来ました。T-4の旋回性能のいいところです、、、 展示飛行の続きは明日、、、、
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正式なタイトルは「芦屋基地創立50周年記念航空祭」といいます。行ってきました11月23日「勤労感謝の日」神戸から新幹線に乗って、雨の天気予報に心を曇らせながら。九州に近づくにつれて雨雲が垂れこめてきて、地面は水たまり。小倉からローカル線に乗り換えて「遠賀川」という最寄りの駅へ昼頃到着。シャトルバスに乗る頃には雨が上がったみたい。250円なりの西鉄バスに乗る。基地に着くとこの通り、、、 どんより曇ってはいるものの雨が通りすぎた感じ。そのうちに時々は薄日が差すようになってきた、、、 その中を海上自衛隊のSU-1救難機が岩国へRTB ちょっとモヤがかかっているが雲高は充分ありそうなので、どうやら飛べそう。 というわけで、この後F-15とF-2が機動飛行を披露して、続いて「ブルーインパルス」が展示飛行を実施したのでありました。行って良かった。 私はと言えば、航空ショー翌日の24日には伊丹から日航機に乗って成田・シカゴ経由「ニューワーク空港」へ戻ったのであります。今は我が家。時差ボケで早朝5時半というのにこうやってブログをアップしている。続きは明日、、、、
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日本にいると何が面白い景色なのか、あまりにも身近なものが多いので、わからなくなってきます。 先週は信州の奥志賀高原にぶらっと行って帰りは中央線の「あずさ」で立川まで戻りました。途中の見ものはやはり「八ヶ岳」 いい景色ですねえ 昔、若い頃、結婚する前、甲斐泉郷というところに山荘を買う話が持ち上がって友人とここら辺をドライブしたことがある。結局は山荘購入は断念したが(300万円だった、昭和50年頃)良かったのか悪かったのか。この地方を通るたびにそのことが思い出される。 八ヶ岳は昔大噴火をした火山で、韮崎あたりは火砕流で覆いつくされた場所であるらしい。中央線から塩川北岸に見える断崖はそれを今に伝える奇景であります。 このあたりはフォッサマグナも通っているし、妙に好奇心をくすぐられる地形が多いのです。「七里岩」という28キロになんなんとする壁も見て見たい。飛行機好きの私、こういった火山性の奇景にも興味あるんであります。 さて、立川では色々な友達に会って楽しい時を過ごしたのですが、モノレールに乗ったときに見た丹沢山系に落ちる夕日が奇麗だった。 東京のいたるところから富士山は見えますが、本当にこの山は日本の象徴ですね。奇麗です。 この写真を撮っている場所は多摩モノレールの「玉川上水」駅近辺(武蔵村山市)です。我が家は1987年から1993年までここに住んでおりました。子供達が幼稚園や小学校に通った頃です。ここでの生活もそれなりに面白いところでした。通勤には苦労したけど。 そして、我が家族は1993年に此処を出発してアメリカに渡ることになるので有ります。以来いまだに帰国を果たしておりません。私だけ2002年~2008年までの6年間「逆単身赴任」で日本に帰っておりましたが、今ふたたびアメリカにおります。これから先、我が家はどこへ向かうのか、さっぱり見当が付かない、というのが正直なところ。日本はとてもいい国なのですが、アメリカの生活も捨て難い、、、、、
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今回は日本に帰るに際してニュージャージーの「ニューワーク空港」から出発することにした。我が家からJFK空港へは超混雑する95号線を通ってしかもジョージ・ワシントン・ブリッジを渡らなければならないので送り迎えの車の運転がうんざりするからです。 アメリカン航空のDC-9(MD-90か)に乗ってシカゴへ飛ぶ。定刻7時出発。離陸して北へ向かうと直ぐに「Morristown Municipal Airport」が見えてきた。アメリカに星の数ほどある民間軽飛行機用の空港である。 ここから1時間半くらいの飛行時間でオヘア空港に着く。 普通オヘア空港へのアプローチはミシガン湖からシカゴ市の北側上空を通る。いつもならシアーズタワーやハンコックタワーが見えるが今日は靄がかかっていて見えなかった。 その代わり見えたのが同時着陸する旅客機2機。 オヘアには7本の滑走路があって、そのうちの3本が並行滑走路となっている。今回偶然にも3機が同時着陸するのに出くわした。電子機器の電源オフが決められているので着陸の瞬間は撮れなかったが、ほぼ↑このままの状態で3機揃って着陸した。さすが全米有数の巨大空港。
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明日7日から24日まで日本へ帰国しますので暫くブログ更新が御無沙汰になります。 日本は食べ物がおいしいしビールも美味いし、どんなお店に行っても店員が丁寧だし。何よりも友達に会えることが最高。 今回はニューワーク空港からシカゴ・オヘア空港にアメリカンで行ってシカゴ・オヘア空港から日航で成田空港へ向かいます。成田でまた乗り替えて伊丹までの長旅。家人がニューヨーク・JFK空港へ私を送るのは途中の渋滞が大変なのでニュージャージーのニューワークにしてみました。冬の間はシカゴ乗り換えは悪天候でトラブルことが多いのでお薦めではないのですが、ま、急ぐ旅では無し我が家の皆さんに笑顔で見送られたいからシカゴ乗り継ぎにしてみました。もうひとつの方法はサンフランシスコかロサンゼルス経由があるのですが、日航はこのルートやってないのかな?一度羽田空港到着便を試してみたいのだけど、日航の発着時間帯深夜到着は都内の人にはいいけど、地方のお客には不便。全日空の早朝到着はすごく便� �� ��。日航さんの再考をお願いしたいところです。 さて、今日からこちらの時刻は「東部標準時」となり「サマータイム」が終わりました。日本との時差は13時間から14時間となります。いよいよ冬が眼の前まで来ております。
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