ケアンズ着は翌朝の5:30。
意外と小さいのね、ケアンズの空港って。
で、なんだかオーストラリアは食べ物の持ち込みが厳しいってことなので
いちおー税関?検疫?に申告してみました。
だってさぁ、入国カードに
"食べ物または飲み物を持っていますか?"
の質問の回答が
"はい" か "いいえ" しか選べないんだもん。
お菓子とか持ってたから 「はい」 を選択するしかないじゃんねぇ。。。
まぁ、何も没収されることなく入国できたのでオーケーでしたが。
ケアンズ着は翌朝の5:30。
意外と小さいのね、ケアンズの空港って。
で、なんだかオーストラリアは食べ物の持ち込みが厳しいってことなので
いちおー税関?検疫?に申告してみました。
だってさぁ、入国カードに
"食べ物または飲み物を持っていますか?"
の質問の回答が
"はい" か "いいえ" しか選べないんだもん。
お菓子とか持ってたから 「はい」 を選択するしかないじゃんねぇ。。。
まぁ、何も没収されることなく入国できたのでオーケーでしたが。
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デュッセルドルフからローテンブルク日帰りなど楽勝なので、6時21分ので行き(4時間前後かかるところへ行く場合は始発で行くのは常識)ヴュルツブルクで3時間と途中下車、世界遺産レジデンツを見てから(または待ちを散策してから)ローテンブルクに行ってもまだ、13時49分(7時21分ので発っても14時49分)です。
友人宅ということもあり、帰着が深夜1時でいいなら、20時6分ので間に合うあうから実に5時間17分、まあ、常識的にその日のうちの23時59分着でも4時間17分、いやいくら治安のいいドイツでも23時にはもどりたいでも3時間17分で小さな町の散策にいは十分です。
ヴュルツブルクに寄らないでローテンブルクだけなら、 何と最長8時間17分、23時までに帰りたいでも6時間17分です。
正午の仕掛け時計が見たければ6時21分ので行けば10時49分着で悠々間に合います。時刻は昨年欧州に行ったとき持参した夏ダイヤですので若干の違いはご容赦を。
!doctype>ロードアイランド州におけるニューポート市の位置
ニューポート(Newport)はアメリカ合衆国ロードアイランド州南東部、ニューポート郡に位置する港湾都市。州都プロビデンスの南約48km、ボストンの南約100kmに位置する。人口は26,475人(2000年国勢調査)。ロードアイランド州に深く切り込んだナラガンセット湾(Narragansett)に浮かぶ大きな島、アクイドネック島(Aquidneck、別名ロード・アイランド)の先端に位置し、湾の対岸とはニューポート・ブリッジという吊り橋を含む長大な海上道路で結ばれている。
港湾のほか保養地・別荘地としても名高く、19世紀末以降に建てられた豪邸が街の南の風光明媚な海岸に並ぶ。またアメリカ海軍戦略大学(United States Naval War College)、海軍水中戦センター(Naval Undersea Warfare Center)、その他アメリカ海軍の訓練施設などが立地している。黒船を率いて日本や琉球などを訪れたマシュー・ペリーなど、海軍ゆかりの出身者も多い。
ニューポートのスプリング・アンド・メアリー通り
オールド・コロニー・ハウス
ニューポートの裏通り。港の近くに立ち並ぶ歴史的町並みには観光客が集まる
ニューポートの町は1639年、ウィリアム・コディントン(William Coddington)、ジョン・クラーク(John Clarke)らによって建設され、1640年に小学校も建設された。彼らは反律法主義に共感を示したためボストンを去り、信教の自由が保障され多くの宗教的少数派を受け入れていたロードアイランド植民地に移住したという経緯がある。以後、クエーカー教徒、ユダヤ人らが多く移住し、アメリカ初のシナゴーグも建てられた北米を代表する商港として繁栄を始めた。1727年、ジェームズ・フランクリン(ベンジャミン・フランクリンの兄)はニューポートで印刷業を始め、1732年には最初の新聞『ロードアイランド・ガゼット』を発行した。彼の息子、ジェームズは週刊紙『マーキュリー』を1758年に発行している。アメリカのアンティーク家具の名品として高額で取引されているゴダード・アンド・タウンゼンド(Goddard and Townsend)の家具は、18世紀にニューポートのゴダード家とタウンゼンド家で作られたものである。
1687年にワシントン・スクエア東端に建てられた木造の役所は、1730年代後半からレンガ造りのジョージ朝様式建築に建て替えられ1741年に落成した。「オールド・コロニー・ハウス」(Old Colony House)と呼ばれ現存するこの建物はロードアイランド植民地の議事堂として機能し、アメリカ独立戦争前後には印紙法を巡る集会など植民地独立運動の舞台となり歴史上重要な役割を果たした。
!doctype>ダフニの船着き場あたり。
ダフニで船を降りると、すぐさま広場で客待ちしていたバスに乗り込んだ。フェリーに乗っていた巡礼者たちの大半は首都のカリエスへ行くみたいで、バスはあっという間に満席となった。港でちんたらしてたら、席を確保できなかったな。危ういところだったわい。
バスはつづら折りの坂道をぐんぐん登って行った。坂を登り切ると今度は周囲を枯れ木に覆われた山道を進んでいく。単調な景色を眺めていると、いつの間にか眠ってしまった。目を覚ましてしばらくすると、周囲に生えていた木々が姿を消し、急に視界が開けた。カリエスに到着したのだ。
アトス自治修道士共和国の首都カリエス。
カリエスは一応アトスの首都ということになるんだけど、街と呼ぶにはあまりにもこじんまりとしすぎていた。はっきりいってギリシャの山の中にある小さな村といった趣である。
カリエスには宿やカフェ、雑貨屋が数軒あった。アトスに入ったとはいえ、まだまだ我々の世界と近い匂いを感じる。雑貨屋を覗いてみるとテッサロニキやウラノポリのそれと全く同じような感じで、食料品から酒、たばこなどなんでも揃っていた。値段も特に高いということはない。
アトスには猫が多い。しかしこれ全部オスなのかな?1匹1匹ひっくり返して確認したくなるな。
時刻は既に12時を過ぎていたので、さっさと巡礼を開始することにする。各修道院は日没とともに門を閉じてしまい、そうなるともう絶対扉を開けてくれないというのだ。現在は冬なので午後5時には日が暮れるだろう。あんまりのんびりしていると本日宿泊予定の修道院に泊まれなくなってしまう。
















ベネチアのように路地が入り組んでいる土地で地図を見ながらレストランを目指すのなんて不可能。かわいい路地をサンマルコ広場から1本路地に入っただけで雰囲気が全然違う、こんなロマンティックな町はウインドショッピングも楽しい








ベネチアに来たらシーフードのパレードです。リゾットは美味しかったが量が少ない。前菜だからかかな?お米はアルデンテでした。スパゲッティは魚介のだしは効いている。しかしながら普通のパスタだった

ロブスターパスタを勧めてくるのでいおいくら?って聞いたら€25と。ロブスターは惨めなくらいの大きさで€25ならまぁ許せるがペスカトーレより若干大きめの海老のいいだしが出てはいたが普通。大好きなピザ。まさに子供だましのピザで焼き立てなので不味くは無いが美味しくは無い

味覚にはうるさい我が家であります。いまいちな味のお料理って何がどういまいちなのか?お店の雰囲気はよいのですけど、おなかも一杯になったしワインも飲んでいい気分でお会計を頼みました。レシートをみてびっくり、、、、

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